JR九州相談役 唐池恒二氏が語る「ななつ星in九州」誕生秘話 逆境から世界一へ
10月20日、事業構想大学院大学(東京・表参道)において、JR九州相談役の唐池恒二氏による特別講演「夢みる力が『気』をつくる~ななつ星への道~」が開催された。国鉄分割民営化時に「三島JR」と揶揄され、上場は不可能と言われたJR九州が、いかにして逆境を乗り越え、世界一の豪華寝台列車「ななつ星in九州」を生み出したのか。その壮大な事業構想の軌跡が語られた。
「毎年300億円の赤字」からのスタート
1987年、国鉄の分割民営化によって誕生したJR九州。しかし、その船出は過酷なものだった。「初年度の鉄道収入は約1,070億円に対し、赤字は約300億円。22線区のうち21線区が赤字路線でした」と唐池氏は振り返る。当時、唐池氏は鉄道事業本部営業部販売課副課長として、管理職の末席についたばかりだった。
本州3社(東日本・東海・西日本)が初年度から黒字を計上する中、北海道・四国・九州の3社は「三島JR」と呼ばれ、特にJR九州の上場は絶対に無理と言われていた。
社長就任と「世界一」への挑戦
2009年6月に社長に就任した唐池氏は、就任1週間後、鉄道事業本部の当時の部長・課長約30人を集めて宣言した。「2年後に九州新幹線が全線開業する。夢が実現するということは、夢がなくなることだ。次の夢を見よう。世界一の豪華列車を作ろう」
この提案に対し、新幹線開業準備で多忙を極める当時の運輸部長は強く反対。「社長の道楽みたいなことを言わないでください。我々は2年後の新幹線で大忙しなんです」と食ってかかった。しかし唐池氏は、1週間後、その反対した当時の運輸部長を「ななつ星プロジェクトリーダー」に任命。組織人としての責任感から、運輸部長は一転して最大の推進者となった。「私の社長時代の最大のヒット人事でした」と唐池氏は振り返る。
デザイナーと職人たちの執念
デザイナーの水戸岡鋭治氏は「世界一」という言葉に悩み、2年間の研究期間を経て設計に着手。さらに、有田焼の人間国宝・14代酒井田柿右衛門氏に「ななつ星に魂を入れてください」と依頼した。
末期がんと闘いながら、14代柿右衛門は長男の酒井田浩氏(現15代)と二人だけで約8か月かけて14個の洗面鉢を制作。納品の1週間後に逝去された。「まさに魂をいただいた形になりました」と唐池氏は語る。
客室乗務員の公募には、わずか1週間で400人が応募。一流ホテルのコンシェルジュや日本バーテンダーコンテスト優勝者、国際線のチーフパーサーなど、サービスのプロフェッショナルが「世界一」という言葉に惹かれて集まった。その中から25人を選抜した。
3年連続「世界一」の評価
2013年10月に運行を開始した「ななつ星in九州」。初日、筑後川ではうきは市民177人が河原に集まり、わずか十数秒間、列車に手を振るだけで半数が涙し、さらにその半数が号泣したという。運行初日は沿線に約10万人以上が集まり、手を振って応援した。運行開始から10年以上経った現在でも、毎回2,000~3,000人が手を振り続けているという。
そして2021年から2023年まで、米国の権威ある旅行誌「コンデナスト・トラベラー」で3年連続「世界一の鉄道」に選出。オリエント急行を抑えての快挙だった。
「気」の哲学と事業構想
唐池氏は成功の秘訣を「気」という概念で説明する。「気とは万物が生ずる根源、生命・活動の勢い。思いや夢、手間、人生が込められたエネルギーが、感動のエネルギーに変化します」と語る。
唐池氏が提示する「気を高める5つの法則」とは、まず「夢見る力」であり、強く念じて具体的な構想・計画に落とし込むことが重要だという。次に「スピード」で、きびきびした動きのある集団には気が集まる。そして「明るく元気な声」が大切で、電話応対から従業員同士の打ち合わせまで、すべてのコミュニケーションにおいて元気な声が気を呼び込む。さらに「隙を見せない緊張感」として、最終的にお客様に届く仕事の質を意識すること。最後に「貪欲さ」として、より良くなろうとする執念が必要だと説く。「一人でも多くのお客様を迎えようとする店長の貪欲さが、年間の利益の差を生む」と唐池氏は強調した。
東日本大震災での決断
2011年3月11日、翌日に控えた九州新幹線全線開業の前日。当時社長だった唐池氏は、東日本大震災の発生を受け、準備してきたすべてのイベントの中止を決断。「これは東北の災難ではなく国難だ。人間として浮かれてはいけない」と反対を押し切った。
「トップの仕事は『やる』ことと『やらない』ことの見極め」と唐池氏は強調する。
逆境が生み出す強さ
講演の最後に唐池氏は力強く語った。「逆境の中でも夢を見ることで、かすかに明かりが見えてくる。逆境に打ち勝った時、人と組織は本当に強くなる」
JR九州は38年前の逆境から、九州新幹線全線開業、「ななつ星in九州」の成功、そして2016年の株式上場という絶対に不可能と言われた3つの夢をすべて実現した。
この講演は、事業構想において「夢を強く念じ、それを具体的な構想・計画に落とし込むこと」の重要性の実例を具体的に示すものとなった。逆境が革新的な事業を生み出す原動力となることを、JR九州の軌跡が証明している。
本講演は事業構想大学院大学の院生、修了生、研究員および入学希望者を対象に、東京校およびオンラインのハイブリッド形式で開催された。