アイスクリームから、経済も生き方も再定義する。不耕起栽培農家が始めた「SOYSCREAM!!!」

(※本記事は「グリーンズ」に2024年5月28日付で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)

「はちいち農園」衣川木綿さんと、夫の衣川晃さん。

人が新たな冒険に踏み出すとき。
暮らし方や働き方を変えるとき。
握りしめていた何かを手放すとき。

そこにはどんなきっかけがあるのでしょうか?

自分の人生を振り返ってみると、それはすべて「心の動き」だったように思います。

「すごい!」や「かっこいい!」、そして「おもしろい!」。
ときには、ショックや後悔も。

頭で考えて決断したことよりも、心で感じたことはいつまでも私の体の中に余韻として息づき、じわじわとその後の生き方に滲み出していったように思います。

そんなことを思い返すきっかけをくれたのは、神奈川県茅ヶ崎市で、妻の木綿(ゆう)さんとともに不耕起栽培による環境再生型有機農園「八一(はちいち)農園」を営む衣川晃(きぬがわ・あきら)さんの、この言葉。

「環境問題の解決のためには、何が再生されなくてはいけないかと言えば、人の心だと思うんです。心が変わらないと、どんなアクションをしても結局変わらないと思う。」

晃さん自身も、ある高齢の農夫に出会い、「かっこいい!」と衝撃を受けたことをきっかけに、人生が大きく動き出したと言います。

それまで直感的に追い求めてきたミュージシャンの世界から、ファーマーに転身。さらには地球温暖化の緩和策として不耕起栽培による土壌再生面積の拡大を目的としたアイスクリームブランド「SOYSCREAM!!!(ソイスクリーム)」を立ち上げ、不耕起栽培農家を支援するビジネスモデルを構築しました。

人生も、社会も、大きく動くきっかけは、「心」なのかもしれない。

そんな予感が確信に変わった今回の取材。
土に触れ、野菜をいただき、畑生まれのアイスクリームを味わって。
土壌と心を再生する現場を体感する旅へご案内しましょう。

ライター:池田美砂子

「僕のメッセージはここにある」

はちいち農園

「海のまち」というイメージを払拭するような豊かな山々と美しい田園風景が広がる茅ヶ崎市の北側・里山エリア。広大な県立公園から徒歩すぐの場所に、はちいち農園のフィールドがありました。

迎えてくれたのは、農園主の衣川木綿さんと、夫の衣川晃さん。

私たちをあたたかく迎えてくれた衣川夫妻(左端)。本取材には、編集部メンバーに加え、リジェネラティブ・カレッジの受講生6名も同行しました
私たちをあたたかく迎えてくれた衣川夫妻(左端)。本取材には、編集部メンバーに加え、リジェネラティブ・カレッジの受講生6名も同行しました

スタイリッシュな雰囲気漂う就農6年目の若きご夫妻に案内していただいた2反(約2,000平方メートル・600坪)の畑を前に、私はハッとしました。

直線状につくられた高畝には色とりどりの野菜が等間隔に並び、苗の周りに不耕起栽培独特のカバークロップ(被覆作物)が施されているほか、場所によっては虫除けの網やフィルムマルチ(作物の株元を覆うプラスチックフィルム)も丁寧に設置されています。

「本当は平畝(畝の高さが5〜10センチ)が好き」と言う晃さん。ただ、ここは水捌けが悪く、たくさんの人が足を踏み入れるコミュニティ農園であることから、歩きやすく畑と歩道の見分けがつくように高畝(畝の高さが15センチ以上)にしているそう(5月中旬撮影)
「本当は平畝(畝の高さが5〜10センチ)が好き」と言う晃さん。ただ、ここは水捌けが悪く、たくさんの人が足を踏み入れるコミュニティ農園であることから、歩きやすく畑と歩道の見分けがつくように高畝(畝の高さが15センチ以上)にしているそう(5月中旬撮影)
ビニールマルチなども再利用しながら最低限使用し、人工物の恩恵を受けているため「自然農」と言う言葉は使っていないのだとか(5月中旬撮影)
ビニールマルチなども再利用しながら最低限使用し、人工物の恩恵を受けているため「自然農」と言う言葉は使っていないのだとか(5月中旬撮影)

美しい……。

あまりにも丁寧な仕事が伺える畑の光景を見て、私は思わずそう呟いてしまいました。読者のみなさんの中には、「これが不耕起?」と思った方もいるでしょう。

耕さないことで土の中に炭素を貯留し地球温暖化の緩和に貢献すると言われている不耕起栽培。でもその特徴を外観で表現すると、「荒廃した空き地のよう」だったり、「生い茂った雑草の中から宝探しのように野菜が見つかる」なんて語られたりします。それらとは全く違う畑のありように見惚れていると、晃さんはこう語りました。

晃さん 「不耕起でもそれぞれ畑の姿は違います。僕は畑や田んぼは一つの景色だと思っているので、美しさは大事だと思っているんです。家の前に綺麗な田園風景が広がっていると、めちゃくちゃ嬉しいじゃないですか。ほったらかしのイメージを手放して、手を入れていくと違ったものが見えてきます。」

赤リアスからし菜、ビーツ、パクチー、紫小松菜。はちいち農園の野菜は、見た目にも楽しい。2反の畑に季節を問わず10〜15種類の野菜を栽培していて「野菜セットがここで採れるイメージ」とのこと(5月中旬撮影)
赤リアスからし菜、ビーツ、パクチー、紫小松菜。はちいち農園の野菜は、見た目にも楽しい。2反の畑に季節を問わず10〜15種類の野菜を栽培していて「野菜セットがここで採れるイメージ」とのこと(5月中旬撮影)

畑の「手入れ」と言えば、私のような素人はまず雑草抜きをイメージしてしまいますが、不耕起栽培では草の根は抜きません。

晃さん 「畝の部分は草を刈り取ってその場に敷き、根っこは有機物としても貴重な資源なので土の中に残します。それをミミズや小動物が分解し、さらに微生物が分解して、ようやく植物が吸えるような状態まで無機化してくれます。土の中で行われている仕組みを活用しているんですね。」

そう言って晃さんが畝から掘り起こした土は、驚くほどふかふかでした。耕さず、根を抜かずに土の中の営みを土の上からサポートしてあげることで、こんなに柔らかな土になるのです。

不耕起栽培特有の団粒構造の土。「雨が直接当たらないから締まらないし、虫たちが糞をして団粒の構造をつくってくれる」と晃さん。団子状になった大小の土の塊がバランス良く混ざり合い適度な隙間がたくさんつくられているため、土が柔らかく通気排水に優れ、有用微生物が多く繁殖し作物の生育に適しているのだとか
不耕起栽培特有の団粒構造の土。「雨が直接当たらないから締まらないし、虫たちが糞をして団粒の構造をつくってくれる」と晃さん。団子状になった大小の土の塊がバランス良く混ざり合い適度な隙間がたくさんつくられているため、土が柔らかく通気排水に優れ、有用微生物が多く繁殖し作物の生育に適しているのだとか

晃さん 「『コントロール型』ではなく『寄り添い型』なんです。土が野菜をつくってくれるので、自然の力に委ねて、僕らは野菜が育つための環境を整えているんですね。」

なんとも優しい表現に心がほっこりしますが、気になるのは雑草のこと。土が良くなれば野菜は元気に育っていきますが、それと同時にぐんぐん伸びる雑草への対応も当然必要になります。それが不耕起栽培の難しさと指摘する声もありますが……。

晃さん 「非効率や大変さ、それをどれだけ楽しめるかだと思っています。僕らが楽しみながら草刈りをやる理由のひとつは、草が生えないと、他から持ってこないといけないので、そのための時間や労力がもったいないと感じているからです。

諸外国では表土の風食や乾燥による干ばつの解決策として不耕起栽培が注目されていますが、逆にここ日本では雨が多く草が生える事が問題とされています。

視点を変えれば、ここに在るもので成り立つのは楽ですし、土壌が豊かな証拠。何より草が生えることに感謝の気持ちが芽生えます。だから僕は草が生えるとめちゃくちゃ嬉しいんです。」

野菜と草がしっかり見分けがつくように手入れしているのは、コミュニティ農園のメンバーが一目でわかるようにするため。「そうじゃないと『これは野菜?これは雑草?』ってやりとりが繰り返されちゃいますからね(笑)」とも(5月中旬撮影)
野菜と草がしっかり見分けがつくように手入れしているのは、コミュニティ農園のメンバーが一目でわかるようにするため。「そうじゃないと『これは野菜?これは雑草?』ってやりとりが繰り返されちゃいますからね(笑)」とも(5月中旬撮影)

草が生えることに「感謝」だなんて、これまでの農業の価値観が覆されそうな表現です。価値観といえば、既存の農業の価値観で捉えたとき、不耕起栽培に対する印象は決して良いとはいえません。特に荒廃した土地のように見えてしまう不耕起栽培の畑は、周辺の農家さんからよく思われないこともあると聞きます。

晃さん 「僕らが景観を大事にしているのは、そういう理由もあります。周りに慣行農法(農薬や化学肥料を使用する従来型の農法)の農家さんが多い中で、不耕起栽培が理解を得るのはやはり難しい。

だから、慣行農法へのリスペクトをベースにしっかりコミュニケーションを取りながら、人としてちゃんとつながっていくことを大切にしています。不耕起栽培と慣行栽培は農法としては平行線で交わることはないけれど、僕は不耕起が好きでやっているだけで「こちらが正しい」という感覚もないので、それで全然いいと思っています。」

衣川晃さん

不耕起栽培は耕さないことで土壌に炭素を貯留し大気へのCO2放出を抑制するため、地球温暖化の緩和に貢献するほか、土壌の生物多様性の回復にも寄与します。一方で一般的に知られているのは、「収量が少ない」というデメリット。晃さん自身にもその実感があり、「食の安全保障という視点で見ると、このような手作業の農業ですべてを満たせるかどうかはわからない」と語ります。

晃さん 「環境の視点では不耕起栽培が良いことはわかっています。でも、すべてが不耕起であることが本当に平和であるかは、正直わかりません。絶対的に正しいものはないんです。ただ、現状は日本の農地の99%以上が慣行栽培(※1)なので、もう少し不耕起栽培が増えてもいいと思うんです。」

※1 農林水産省によると、日本の有機農業の取組面積は2万5200haで、耕地面積に占める割合は0.6%です(2020年度農林水産省調べ)

水菜の菜の花をみんなでちぎって試食。ほろ苦いけれどどこか甘い、優しい味わいが口いっぱいに広がりました。同じあぶらな科のケールや芽キャベツとの食べ比べも楽しみました(4月中旬撮影)
水菜の菜の花をみんなでちぎって試食。ほろ苦いけれどどこか甘い、優しい味わいが口いっぱいに広がりました。同じあぶらな科のケールや芽キャベツとの食べ比べも楽しみました(4月中旬撮影)

晃さんのあり方と考え方には、心地よいバランス感覚とフレキシビリティを感じます。

晃さん 「本当に社会を変えていこうと思うと、自分自身を変えていくことが結構大事なんですね。自分の振る舞いや所作が変わっていくと、コミュニケーションが成立していったりするので、諦めない。」

今では、慣行栽培の農家の方から「農薬を使わずに育つのなら、これが一番いいなぁ」という言葉を受け取るほどの関係性を築くことができているのだとか。

晃さん 「あまり語らなくていいんです。僕のメッセージはここにありますので。」

優しく力強い晃さんの言葉が、踏み締めた大地から伝わってくるように感じられました。

はちいち農園

地球からの「SOS」を届けるアイスクリーム

畑から受け取った余韻をそのまま携えてはちいち農園を後にし、車を15分ほど走らせると、平家建ての「アトリエ在(ある)」に到着しました。衣川夫妻は、先ほどの2反のコミュニティ農園も含めて合計7反の畑をフィールドに農業を営む傍ら、ここを拠点に畑のアイスクリーム「SOYSCREAM!!!」の製造販売を行っています。

ネーミングの由来は、不耕起栽培で育てた大豆(SOY)の叫び(SCREAM)。地球からのSOSをSOYSCREAM!!!を通じて届けていくことをミッションにしています。
ネーミングの由来は、不耕起栽培で育てた大豆(SOY)の叫び(SCREAM)。地球からのSOSをSOYSCREAM!!!を通じて届けていくことをミッションにしています。

ひとことで言えばSOYSCREAM!!!は、不耕起栽培で育てた大豆を使用したアイスクリームです。現在フレーバーは「塩キャラメルナッツ」と「ピュアチョコレート」のふたつ。原材料は、豆乳、きび糖、米油をベースに、海塩やナッツ類、カカオパウダーでフレーバー展開をしており、シンプルながらヴィーガンアイスとは思えないほどパンチもコクもある豊かな味わいが特徴です。

はちいち農園で収穫した大豆を使用し、木綿さんがレシピを開発して商品化。株式会社SOYSCREAM JAPAN(代表:衣川晃さん)を立ち上げ、2023年11月に販売を開始しました。

株式会社SOYSCREAM JAPANを立ち上げた

不耕起栽培で育てた大豆を手に取りやすい形で食べてもらえる素晴らしい商品開発ですが、SOYSCREAM!!!が生み出す価値はそれだけではありません。衣川夫妻は、アイスクリームを通して不耕起栽培の農家を支援しようと、これまでにないビジネスモデルを考案し、2024年5月現在、実証実験中です。

SOYSCREAM!!!の背景にある農家支援のビジネスモデル
SOYSCREAM!!!の背景にある農家支援のビジネスモデル

例えば、不耕起栽培を始めたばかりの農家Aと提携し、Aが育てた大豆を1kgあたり1,000円で買い取ります。市場では1kg160円ほど(※2)で取引されているので、農家にとってはこれだけでも嬉しいはず。でもそれで終わりではなく、SOYSCREAM JAPANは、買い取った大豆を原料にしてつくったアイスクリームを農家Aのコミュニティに対して販売し、その売上の一部をAに還元するモデルを検討しています。

※2 日本特産農産物協会によると、2023年産国産大豆の収穫後入札の初回取引(12月20日実施)の結果、普通大豆60kg当たりの平均落札価格は9,506円。1kgに換算すると158.43円となります。

ここからはあくまで仮の計算ですが、Aが10kgの大豆を市場に販売すると手元に残るのは1,600円ほどですが、このビジネスモデルでSOYSCREAM JAPANと提携すると、同じ10kgの買取価格は1万円になります。さらに10kgの大豆から約400カップ(1カップ=100ミリリットル)のアイスクリームができるので、仮に1カップの販売価格を500円、原価を150円とした場合、原価を差し引いた金額の20%を還元するモデルでは、Aに400×70=2万8千円が還元されます。つまりAの手元には3万8千円が残ることになります。(※3)

※3 販売価格や原価率、還元率はあくまで仮の計算で、農家との相談により変動する見込み。ビジネスモデルに関しても、現在他のモデルも含めて検討中で、変更になる可能性も。晃さんは「どちらにしても農家へのインパクトを大きくしていきたい」と語ってくれました。

1,600円と3万8千円。比べると一目瞭然ですが、Aにとっては大きなサポートになるだけではなく、大豆の収量を増やしていくことによってさらに経済的に余裕ができるため、農地拡大に乗り出す可能性も見出せるモデルであることが理解できます。

不耕起栽培農家にとっては願ったり叶ったりのビジネスモデルですが、衣川夫妻にはあまり大きなメリットはないように思えます。なぜふたりはSOYSCREAM JAPANとして、このビジネスに挑戦しようと思ったのでしょうか。ここからはその真相に迫っていきます。

取材の様子

「おじいちゃん、かっこいい!」

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