能登の教訓を全国へ。水ingが挑む官民連携の水レジリエンス

水処理プラントの設計・建設から上下水道・民間施設等の維持管理までをグループで一貫して担う水ing株式会社は、2025年12月10日、「水ingプレスセッション2025」を開催した。能登半島地震で明らかになった"水の確保"の脆弱性と、断水長期化に備える広域支援のあり方を産官学の視点から議論するもので、内閣府防災監の長橋和久氏、東京大学大学院の加藤裕之特任准教授が登壇し、七尾市長の茶谷義隆氏がビデオメッセージで参加した。100年にわたり水インフラを支えてきた同社は、能登での「悔しさ」を原動力に、従来の運転管理支援・インフラ復旧支援に加え「地域支援」を第3の軸として創設。可搬式浄水装置を「動く浄水場」として全国に配備し、平時も災害時もシームレスに運用する「フェーズフリー」構想を掲げた。

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水ingプレスセッション2025(左から)水ing株式会社 代表取締役社長 安田真規/内閣府 防災監 長橋和久氏/東京大学大学院 工学系研究科 都市工学専攻 下水道システムイノベーション研究室 特任准教授 加藤裕之氏

100年の原点と能登での「悔しさ」

「災害対応といえば水ing」。業界でそう評される自負には、100年の歴史に裏打ちされた原点がある。1923年の関東大震災。当時、東京市200万人の水を支えていた淀橋浄水場は、たった1本の水路で多摩川上流から水を引いていた。水ingの前身である荏原製作所は、地震が起きたら大変なことになるとポンプの納入を提案していたが叶わず、寄付という形で備えていた。震災でその水路は決壊したが、寄付したポンプを急ぎ稼働させ、断水はわずか1日で解消。火災の延焼や疫病の蔓延を防いだ。この経験が「水に責任を取る」という企業姿勢の原点となった。

以来、同社は時代の課題に応じて水インフラを進化させてきた。1931年には国産初の水道施設を納入。公害が社会問題となった時代には画期的な排水処理施設を開発し、特許を解放して環境保全に貢献した。急速な工業化で水不足が深刻化した時代には、世界で初めて下水処理水の再利用を実現した。西日本豪雨では被災した水道施設の仮設建設から維持管理までを担い、東日本大震災では津波で損壊した下水処理場の復旧支援に奔走した。

しかし、2024年1月の能登半島地震は、同社に新たな課題を突きつけた。石川県七尾市では全世帯の96%にあたる約2万1000世帯が断水し、解消まで約3ヶ月を要した。半島特有の地形、寸断された道路、広範囲に及ぶ管路の損傷。従来の運転管理支援やインフラ復旧支援だけでは、市民に水を届けることができなかった。安田社長は当時を振り返り、「支援したくても様々なハードルがあり、本当に悔しかった」と語る。この悔しさが、新たな構想を生む原動力となった。

「地域支援」創設と全国即応体制

能登での経験を経て、水ingは従来の2軸に加え、「地域支援」を第3の軸として創設した。運転管理支援は被災施設での水処理継続を担い、インフラ復旧支援は損壊設備の早期復旧を担う。これに対し地域支援は、可搬式装置を用いて飲用水・生活用水を直接届けるものだ。インフラが寸断されても、市民の日常を取り戻すことに貢献する。

能登半島地震では、この地域支援の萌芽となる実践があった。同社は七尾市と協議し、備蓄していた可搬式浄水装置を戸島小学校に設置。手洗いもトイレも使えない状況だった学校は日常を取り戻し、2ヶ月間の断水を乗り切った。また、水循環型シャワーを提供するWOTA社と連携し、県立田鶴浜高校で入浴支援を実施。装置の設置だけでなく、避難者へのレクチャーを行い自律運用を支援した。

こうした経験から見えてきたのは、災害時の水ニーズの変化だ。発災直後の1〜3日間は飲料水が最優先で、1人1日約3リットルが必要とされる。しかし4日目以降は生活用水のニーズが急増し、洗濯や入浴、衛生管理のために1人1日15〜20リットルが求められる。飲料水の5倍以上だ。ペットボトルの支援では賄いきれない生活用水をいかに届けるか。この課題に応えるため、同社は「利用用途に合わせて水をデザインする」というニーズアプローチで装置開発を進めた。

2年間で講じた支援拡大施策は6つに及ぶ。第一に物的拡充として、可搬式浄水装置「ORsistem™シリーズ」をはじめとする装置群を整備した。第二に分散備蓄として、グループ拠点に加え、自治体と共同出資で設立した公民協働企業にも装置を配備した。第三に輸送施工体制の構築として、工事協力会社約170社のうち90社と災害時協定を締結。第四にエンジニア結集の仕組みとして、全国約300拠点・2800人のフィールドエンジニアが災害時に結集できる体制を整えた。第五に社内制度を拡充し、誰がどの装置を扱えるか、どのようなスキルを持つかをデータベース化して研修を継続している。そして第六に、2025年4月より災害対策室を社長直下に常設。平時は施策の進化を追求し、災害時は支援全体をマネジメントする司令塔となる。

産官学が語る水支援の課題と連携

1社の取り組みには限界がある。今回のセッションでは、国・自治体・学術それぞれの立場から、水支援のあるべき姿が語られた。

内閣府防災監の長橋和久氏は、2025年度中に設置予定の防災庁の役割を説明した。従来の内閣府防災担当を発展させ、事前防災の徹底と司令塔機能の強化を図る。地域・地区レベルでのシミュレーションを行い、被害を減らすための具体策を各省庁・自治体と連携して進める。長橋氏は「防災をやろうと思うと、行政だけではリソースが足りない。民間の技術力をうまく使い、産官学民が連携することが大事だ」と強調。令和6年度補正予算にはフェーズフリーな装置の活用に向けた財政支援も盛り込まれたことを明かした。

被災地からはビデオメッセージで七尾市長の茶谷義隆氏が参加した。96%断水という未曾有の事態を経験した首長として、「民間の支援があったからこそ、発災直後の大変な時期を乗り越えることができた」と振り返った。そのうえで「官民連携した民間プッシュ型共助を広げていくことが重要」と提言。修繕資材や人材派遣、運送業・宿泊業の協力も含めた協働モデルの構築に期待を寄せた。

東京大学大学院の加藤裕之特任准教授は、東日本大震災で下水道復旧部隊のリーダーとして現地指揮を執った経験から語った。「BCPは半分ぐらいしか役に立たない。現場は常に想定外で、戦術と機動力が問われる」。その点で民間の強みはスピード、広域力、調達・流通力にあると指摘。一方で課題として、モバイル型装置の法的位置づけが不明確であること、災害時の取水権の柔軟化、再利用水の基準整備などを挙げ、制度面の整備が急務だと訴えた。

フェーズフリーで描く"水を止めない社会"

水ingが描く未来像は、災害時だけでなく平時から可搬式装置を運用する「フェーズフリー」の社会だ。浄水場の予備系統として日常的に可搬式装置を稼働させ、災害発生時にはその予備系統を切り離して被災地支援に向かう。常時稼働しているからこそ即応でき、平時の運用で費用対効果も高まる。安田社長は「動く浄水場を全国に配備し、平時も災害時もシームレスに運用できれば、全国の支援体制が飛躍的に広がる」と語る。

この構想の実現には、乗り越えるべき課題がある。物的には、可搬式装置の備蓄は受注生産では間に合わず、平時からの配備と運用が不可欠だ。人的には、装置があっても輸送・設置・運用する人員と輸送網がなければ機能しない。制度的には、災害時の取水権の柔軟化や、モバイル型装置の法整備、再利用水の基準策定が求められる。いずれも1社で解決できる問題ではなく、業界全体、そして産官学民の連携が必要だ。

安田社長は決意を語る。「1社でやれることは限られている。だからこそ、まず自社でやれることをやり、業界の機運づくりに貢献したい」。100年前、関東大震災で水を届けた原点。能登で感じた悔しさ。その両方を胸に、水ingは「災害時に地域市民が日常を取り戻しやすい社会」の構築に向けて動き出している。水に責任を取り続けてきた100年企業が、次の100年に向けて新たな使命を刻んだ。