パーパスブランディング~ココシャネルときゃりーぱみゅぱみゅ~

社会課題と自分の強み、気付き、疑問などが交差するとき、課題解決のアイデアが生まれる。ファッション界も、その例外ではない。

ココシャネル
©Boris Lipnitzki / Roger-Viollet /amanaimages

ファッションの新世紀を開いたココ・シャネル

ガブリエル・シャネルは1883年にフランス南西部オーヴェルニュ地方ソミュールにある救済病院で生まれました。父親は行商人で、ガブリエルが12歳の誕生日を迎える前に生活に疲れた母親は32歳で亡くなります。父親は5人の子供を見捨て、3人の娘たちは孤児院に送られます。2番目の娘だったガブリエルは二度と父親に会うことはありませんでした。オーバジーヌの修道院の中に孤児院があり、7年近く過ごします。禁欲的な世界がもつロマネスクな純粋さが、質素への感覚と、白と黒への嗜好を刺激する一方で、多彩な宗教的衣服や儀式の品は、後年、彼女がバロック様式ゴールドやカラーストーンに強い興味を抱くきっかけとなりました。ガブリエルはお針子が得意で、20歳になると住み込みで婦人子供洋品店で働くようになり、社会人として歩み始めます。夜は騎兵隊の兵士を相手にキャバレーで歌っていました。ここで「ココ」と呼ばれました。十八番にしていた歌「トロカデロでココを見たのは誰」の歌詞のなかに「ココ」があったからです。彼女が歌うと、観客から「ココ!ココ!」というコールが起こるようになりました。これが名家の騎兵将校バルサンの目にとまりました。バルサンから乗馬を習いますが、当時の貴族の女性の馬乗りスタイルであった横乗りすることを拒否します。そこでココは女性が馬に乗りやすくするために紳士服から着想を得た独創的な服を生み出しました。また帽子は鳥の羽を取り除き、シンプルで軽くシックな新スタイルを考案しました。

ココが心から愛した男性がいました。ボーイカペルです。裕福で教養豊かなイギリス人のボーイカペルはココが夢見た存在でした。ボーイカペルはココが「シャネル」になるのをサポートしました。ボーイカペルの支援によってブティックをパリに開きます。ココは自由を勝ち取るために働くことを望みました。ココシャネルが女性のシルエットを変えました。ドレスを短くして、足首を露出させ、コルセットを外しウエストを解放しました。ジャージ素材をとりいれて動きやすくしたり、髪を短く切り、日焼けした肌を見せました。こうしてシャネルはファッションの新世紀の幕を開きます。ハンドバックは両手が自由に動かせるようにデザインされ、NO5の香水のボトルは、ウイスキーのデザインに似ています。ココシャネルは「ファッションの力で女性を解放」して、天才的な手腕で革命を起こしました。

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