生態系を整えて漁獲量を増やす 神戸の漁師が取り組む干潟再生

(※本記事は「グリーンズ」に2024年10月24日付で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)

糸谷さんの写真

あなたは最近、どんな魚を食べましたか?

スーパーに買い物に行けば、鮮魚コーナーにはいろいろな種類の魚介がずらりと並んでいます。マグロ、タイ、ヒラメ、アジ、タコ、アサリ……。しかし、それらがどこの海でとれたものなのか、案外よく知らずに食べていたようにも感じます。地球温暖化やSDGsが叫ばれて久しい今、海の生き物たちを取り巻く環境はどうなっているのか、そんな疑問がふつふつと湧き上がってきました。

考えるきっかけをくれたのは、兵庫県神戸市の漁師、糸谷謙一(いとたに・けんいち)さん。糸谷さんは、漁師として働くかたわら、地元の運河に生態系を取り戻すための活動「兵庫運河の自然を再生するプロジェクト」(以下、兵庫運河PJ)に取り組んでいます。

糸谷さんの活動をたどりながら、私たちの食生活を支えてくれている漁業や、海の中で今どんな変化が起きているのか、一緒に学んでみませんか?

ライター:キムラユキ
糸谷さんの写真
糸谷謙一(いとたに・けんいち)
1981年生まれ。兵庫漁業協同組合 理事。漁師の家系に生まれ、高校卒業後から漁師の世界へ。船びき網漁で、しらす、イカナゴを中心とした漁業に従事するかたわら、兵庫運河で干潟や藻場の再生に取り組む「兵庫運河の自然を再生するプロジェクト」にも参画している。

「ボラも住めない」と言われた兵庫運河

糸谷さんが活動する兵庫運河へ案内してもらうと、ほどよく透き通った青緑色の水の中で、大小さまざまな魚がスイスイと泳いでいます。ずっと観察していたら、大きなエイがひらりと横切っていきました。そんな風景を横目に「かつて、この運河は水が真っ黒で悪臭が漂い、近寄ってはいけない場所でした」と糸谷さん。目の前に広がる風景からは、昔の兵庫運河は想像もできません。

運河の写真

兵庫運河は、明治時代に近隣の事業者たちが私財を投げ打ってつくられました。兵庫運河の南東にある和田岬では、潮と潮がぶつかるため波が立ちやすく、物資を運ぶ船が難破することがしばしばあったため、和田岬を避けて船着場をつくる必要があったのです。

日本最大級の大きさを誇るこの運河は、戦後は近隣にできた製材所の貯木場として利用されるようになり、高度経済成長期には一大工業地域として栄えたといいます。戦後復興が最優先された当時、環境汚染への配慮はされておらず、工場排水や船から排出された油などは、全て海の中に垂れ流し。その結果、海の水質汚染がどんどん進行しました。

糸谷さん 「1960〜70年代ごろ、戦後復興期の兵庫運河は真っ黒でした。貯木場の木の皮がヘドロ化して沈澱したり、メタンガスがボコボコと出たりするような状態だったそうです。近隣住民からは臭くて危険な場所として認識され、ドブ川に生息するボラですら住めないと言われていました。1971年には運河の清掃活動を行う『兵庫運河を美しくする会』などの市民団体が誕生し、近年では当時ほどの汚染状態ではなくなったものの、運河へのネガティブな印象が残っていることは、神戸に漁業のイメージが根づかない要因の一つにもなっていると思います。」

糸谷さんの写真

近年、兵庫県はしらすの漁獲量全国一位を誇りますが、中でも神戸海域の漁獲量は県内でも上位に入るのだそう。その理由は、海の潮と六甲山系から流れてくるミネラルの多い水がぶつかるため、海の栄養分と言われる窒素やリンなどが溜まりやすく、それらを餌にする植物プランクトンをベースとした海の生態系のバランスが取れているから。

糸谷さんの写真

また、糸谷さんが所属している兵庫漁業協同組合はかなり古い歴史を持つ漁業組合であり、兵庫県の漁業の礎を築いたという誇りも持っています。地元住民の実感は薄くても、実は神戸は古くから漁業と深い結びつきがある地域なのです。

「自分の商売をつくってみなさい」

そんな兵庫運河に生態系を取り戻す糸谷さんの活動が始まったのは2011年のこと。「実は、最初から海の環境再生に関心があったわけではないんです」と、糸谷さん。兵庫運河の水質汚染の問題はあったものの、最初のモチベーションは自分の新たな生業をつくることだったといいます。

糸谷さん 「29歳の時、いつものように漁に出ていたある日のこと。タバコを吸いながら休憩していたら、兵庫漁協で事務員をしていた方から突然『このまま親のレールに乗って生きていけるほど人生は甘くないぞ。自分の商売をつくってみなさい』と言われて。当時は漁獲量も減っていなかったので、心のどこかで『このまま続けていけば食いっぱぐれることはないな』と思っていたんです。

けれど、僕がやっている船びき網漁は海に生息する魚の量が自分の稼ぎに直結する漁法なので、この言葉をきっかけに、自分の子どもの世代までこの産業を続けていけるのだろうかという疑問を強く持つようになりました。あの人の言葉がなかったら今の僕はなかったかもしれないので、恩師のような存在です。」

その言葉で一念発起した糸谷さんは、安定して漁獲量を得られる養殖に注目。同世代の漁師仲間4人に声をかけ、兵庫運河でアサリの養殖を始めました。しかし、深夜から漁に出て日中は寝ていることが多い漁師という職業柄、漁業者以外の人とのつながりがほとんどない状態からのスタート。誰にも信用されず、遊んでいるように見られたり、怪しい業者なのではないかと疑われたりすることもあったといいます。

糸谷さんの写真
養殖したアサリの販売をするため、関係各所へ相談に行った際、「あなたたちに本当にそんなことができるのか」と疑われたなんていうエピソードも。「今でこそ笑い話ですが、あれはつらかった」と話す

一方で、アサリの養殖は1年目から上々の出来。収穫したアサリを販売しようと、関係各所に掛け合うも、調整は難航したといいます。「新しいことをするためには、新しいルールをつくらないといけない。そんな課題に直面して初めて、獲った魚を当たり前に販売できることのありがたさ、自分の親世代がやってきた努力を知りました」と、糸谷さんは当時の苦労を振り返ります。

そこで、地域の中で関係性をつくるために、糸谷さんたちは「兵庫運河を美しくする会」のもとへ足を運び、運河の清掃活動を手伝い始めました。そこでできたつながりが新たなつながりを生み、活動へのアイデアも得られたといいます。

糸谷さん 「当時意識していたのは、気になった人にはとにかく会いに行く、ということ。そして、疑いの目で見てくる人には直接運河を見てもらうこと。その積み重ねで少しずつ信頼してもらえるようになり、関係性が広がっていきました。」

その努力が実り、2014年に「兵庫運河を美しくする会」だけでなく、兵庫運河でアコヤ貝を使った環境改善に取り組む「真珠貝プロジェクト」、兵庫県内の湿地や河川などの自然環境保護のために活動する研究者が集まる「兵庫水辺ネットワーク」、近隣の「神戸市立浜山小学校」など、さまざまな団体と連携を開始。そのタイミングで「兵庫運河の自然を再生するプロジェクト」と名づけ、地域みんなで連携する取り組みに発展していきます。

魚を増やすには、アサリと干潟を増やすことから

アサリの養殖を始めた頃、糸谷さんの恩師にあたる人と農水産課に勤める神戸市役所職員から、「アサリだけでなく、これからは『里海づくり』が大切だ」と助言があったそう。里海とは、人の手が加わることにより、生物多様性が豊かになった沿岸海域のこと。そのためには、アサリをはじめとする“二枚貝”と“干潟”の存在が欠かせないといいます。一体なぜでしょう。

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