「事業創りは組織創り。起業の成否は、人で決まる。」 起業家・北嶋貴朗の肖像

2015年に「事業共創カンパニー」として起ち上がった株式会社Relic。現在までに4,000社・20,000件以上の新規事業開発に携わった実績を持つ。不確実性が高く、また再現性が限りなく低い新規事業という領域に創業以来取り組み、いまや独自のポジションを確立している同社。創業者であり、自身も前線で新規事業開発を実践する北嶋貴朗氏に、起業の原点と構想について話を聞いた。


Section.1/6 原点は“正解ルート”に対する疑問

北嶋 貴朗

北嶋 貴朗

株式会社Relic 代表取締役CEO/Founder 2015年に株式会社Relicを創業し、現職。企業の新規事業創出プログラムやアクセラレーションプログラム等でのアドバイザー・メンターとしての活動や、スタートアップ企業への出資・経営支援も行うなど多方面で活動。著書にベストセラーとなった「イノベーションの再現性を高める新規事業開発マネジメント――不確実性をコントロールする戦略・組織・実行」がある。2021年9月、株式会社Relicホールディングスを設立し持株会社体制に移行後、ホールディングスの代表も務める。大阪大学大学院 招聘教員。

――20代でRelicを設立されていますが、起業を志すようになったのはいつからですか?

10代の高校生の頃からです。埼玉県立川越高校 に通っていました。県内でも屈指の進学校で、中学校では学科オール5をとってきたような学生が集まる高校です。まわりはほとんどがエリート路線と言いますか、ゆくゆくは大企業や官僚を目指す志向の人間が多く、そんな中で自分はどうなんだろうか、といった疑問がぼんやりとありました。「いわゆる正解とされているルートを辿ることが自分に合っているのだろうか?」という感情です。公務員家庭で育った中で感じた違和感や、それを一部反面教師として捉えていたのも影響していたかもしれません。

将来のことを真剣に考え始めたのが高校時代で、そこが起業の原点になっているのだと思います。

――高校生で起業を意識するのは、早いほうですよね。

いろんな本を読んだり自分で調べたりして、世の中の職業や会社のことを勉強しました。その中で自分がやりたいことを実現できる裁量を持つ起業家・経営者という職業を知ったんです。

経営者になる目標を持つようになってからは、そこから逆算して大学を選びました。日本でもっとも社長を輩出している大学は人数でいえば日本大学ですが、いわゆる上場企業や大手企業でいうと慶応義塾大学が多かった。それで慶応義塾大学の商学部に進みました。

Section.2/6 ワクワクしなかったOB訪問

――起業家の方は大学生でインターンや起業を経験している人も多いですが、北嶋さんはどうでしたか?

私はどちらもやっていませんでした。「大学生の今しかできないことをやろう」「将来起業したらめちゃくちゃ働くから、今のうちに心身を鍛えよう」とボクシングを始めて、熱中してやっていました。学業とアルバイトとボクシングの生活です。

――就職活動時期はどのように動いていましたか?

起業のための経験をなるべく最短で積めるだろうと考えてベンチャー企業を中心に探し始めました。一方で大手の会社に就職した先輩にOB訪問させていただいたんですが、話を聞いてもワクワクしてこなかったんです。主語が「自分」ではなく「会社」で話す人が多くて……。

――起業を見据えているからこそ持てる視点ですね。

志を持って取り組んだことを自分事として生き生きと語ってくれたのはベンチャーに勤めている人や起業している人で、そっちのほうが話を聞いていてワクワクしたんです。それじゃあベンチャーに行こうと、縁があって人材コンサル会社のワイキューブに入社しました。

Section.3/6 新規事業は追い詰められてからでは遅い。

――ワイキューブではどんな仕事をしたんですか?

入社して束の間、新規事業の立ち上げチームにアサインされます。当時の同社について詳細は割愛するとして、喫緊で新たな事業の柱を作らなければならないという状況でした。新規事業に携わりたくて入社したわけではないのですが、図らずもそれが私のキャリアの始まりとなりました。

その後、いろいろあってワイキューブは民事再生することになります。

――新卒で入社した会社が経営破綻するというのは衝撃的な出来事だったと思います。

誰でも経験できることではないですよね。たしかに大変な状況でしたが、そこで大きな気付きをいくつも得ることができました。たとえば、イノベーションの緊急性とイノベーションの実施能力は逆相関の関係にあるといった事実です。講演などでも話していますが、つまるところ新規事業は追い詰められてからでは遅いということです。

――新規事業で起死回生を図るのは誤り、ということでしょうか。

最終的な判断は経営者の理念や哲学に依るものですし、こうすべきという正解が必ずしもあるわけではありませんし、もちろん新規事業で起死回生に成功した事例も世の中にはあります。しかし、追いつめられるほど時間や取り得る選択肢が少なくなることは確かです。

キャッシュがどんどん目減りしていく状況で新規事業に取り組んでも、使えるお金は限られます。短期的に利益が出る施策や既存事業のマイナーチェンジ版のようなことしかできず、大きな方針転換やマクロ的な動向を踏まえた身動きがとれなくなるんです。

私はそうした状況下でもワイキューブでは新規事業に挑戦させてもらい、成功といえるほどではないですが多少の数字や実績を出せたこと、何より多くの先輩に恵まれつつそこで得た貴重な経験の数々は現在のRelicの経営にも間違いなく活きています。

Section.4/6 起業時に決意した“やりきる覚悟”

――ワイキューブの後も一貫して新規事業に関わるキャリアを歩まれています。

新規事業コンサルタントとして働き、その後にDeNAの一員としても新規事業に携わります。新規事業の経験を持つ人材は世の中的に少ないので珍しがられ、自ずとそういうキャリアになりました。今もその状況は変わっていないのかもしれません。

とにかく、あらゆる立場から新規事業開発に関われたのはとても大きかったです。一言で「新規事業」といっても会社が変われば進め方やルール、文化も異なります。そこに多角的に、複合的に向き合えるという経験はなかなか積めないものですから。

――その後Relicを起ち上げますが、どのような想いで起業したのですか?

新規事業に現在進行形で取り組む人や会社はたくさんありますが、日本の企業全体を横断してイノベーションを起こしていく共創のプラットフォームやインフラとしての事業をスケールさせていくことは、日本で自分にしかできないという思い込みにも似た自負がありました。

そんな自分にしかできない事業、人生をかけてやりたい事業を突き詰めてやるために起業しました。やるからにはオーナーシップを持って、責任も100パーセント自分で持つ。起業にはその覚悟が必要なんじゃないかと思います。

加えて、勤めてきた会社にはできない領域やアプローチで勝負したいと考えました。むしろそれがないと社会に対して与えるインパクトなどの観点から、独立・起業をする意義が小さいのではないでしょうか。所属していた会社と同じことを、個人や小規模な組織で小さくやる形の独立・起業を否定するつもりはありませんが、私はどうせ人生を賭けた事業に挑むならば、所属していた会社が絶対にやらない領域やアプローチ、所属していた会社を超え得るような挑戦がしたいと思いましたし、そのほうが断然大きなインパクトが出せますから。

――「Relic」(遺物)という社名は19世紀の思想家・内村鑑三の著書『後世への最大遺物』の一節に由来していると伺いました。

学生時代に本書を読んで感銘を受けたという経緯があります。曰く、後世への最大遺物とはすなわち「勇敢にして高尚な生き様」であると本書で定義づけられており、以来ずっと座右の銘となっています。

――この社名にたどり着いた背景はどのようなものだったのでしょうか。

DeNAで新規事業に取り組んでいた当時、大手のパートナー企業と共創して新規事業開発にあたっていたんですが、そこで出会ったのは「新しいことをやろう」「解決できていない課題を解決しよう」といった熱い意気込みを持った人たちばかりでした。オープンイノベーションという言葉がまだ一般的ではない時代にあって、志が高く、ピュアで、素敵な人たちばかりだったんです。「こういう人たちとずっと働いていきたいな」と感じ、彼等・彼女等が評価され輝ける世の中にしたいと心から思ったとき、新規事業やスタートアップこそ後世への最大遺物だと思い当たったんです。

上手くいくかなんて誰にもわからないしリスクも大きい。それでも社会を良くしよう、何かを為そうとチャレンジすることは、まさしく勇敢にして高尚なことだと。そのときに座右の銘と自分の想いとこれまでの経験という点がバシッと線になってつながりました。

Section.5/6 忘れられないクライアントとの“ご縁”

――サラリーマンと経営者では、求められる素養も実務も全く変わってくると思います。創業してから苦労したことはありましたか?

いろいろありますが、とくにファイナンスのリテラシーでしょうか。たとえばBS(賃借対照表)なんてサラリーマンとして新規事業に取り組んでいる期間では気にしたこともなく、PL(損益計算書)ばかり見ていたのですが、経営者になった途端にBSやCF(キャッシュフロー)を含めて多角的に事業や経営を見ることになるので、それが大変でしたね。

――たしかに見る数字が変わりますね。助けてくれる人はいたんですか?

春田真さん(元DeNA取締役会長/現エクサウィザーズ代表取締役社長)にとてもお世話になりました。Relic創業当初は春田さんの会社と同じオフィスに入居していて、経営についてよく相談に乗ってもらっていたんです。先に挙げたファイナンスも含め組織を全体でどう設計していくべきか、大いに学ばせてもらいました。

――創業当初の忘れられないエピソードがあれば聞かせてください。

私がコンサルに勤めていたころ、お客さんが「北嶋さんが起業したら発注するから」って言ってくれていたんです。そういう社交辞令って世の中たくさんあるじゃないですか(笑)。でもそれからDeNAでの3年ほど経てようやく起業するタイミングが来て、「お待たせしちゃったんですけど起業することになりまして……」と挨拶したら、待ってましたと言って、本当に発注してくれて。喜びもひとしおで、あれは忘れられないですね。

――そうしたご縁をいただけるというのはとても素敵なことですね。

本当にそう思います。

もちろん大変だったこともたくさんありました。売上をつくりながら事業を起ち上げ、インキュベーションテックにも投資をしていくという流れを、外部からの資金調達無しで行っていたので、最初の1~2年はとくに資金面での苦労が絶えませんでした。

それでもお金のためだけの仕事もしたくないし、その理想と現実の狭間で葛藤した時期がありましたね。

Section.6/6 経営にも多様な価値観があって良い

――2025年で創業10周年を迎えられます。今後はどのような事業展開を考えていますか?

次の10年では日本発のグローバルで勝負できる事業を作りたいと考えています。日本にも世界で勝負できるコンテンツがちゃんとあって、海外での展開を見据えて始めている事業もあります。

――創業以来、経営において大切にしている方針があれば教えてください。

これからも独創的で尖った事業を推し進めるために非上場でビジョンドリブンの経営体制であることにこだわっています。上場すれば外部から多額の資金調達ができますが、同時にステークホルダーも増えます。その先にあるのは合議制で成り立つ経営です。合議制では構造上、面白い事業やイノベーションは起こりにくくなりがちです。「独創的」とは文字通り、独りで創るから生まれるものなんです。

それにもっとシンプルに、非上場で経営していく道もあるよ、ということを示していきたい気持ちもありますね。

――最後に、目の前に「これから起業します」という人がいたらなんてアドバイスしますか?

メッセージやアドバイスって難しいですね(笑)。でもこうやって創業から振り返ってみると、信じた仲間たちだから一緒に走ってこれたと感じています。ひとりだったら行き詰っていたでしょう。「何をやるか」も大事ですが、「誰とやるか」で成否は半分以上決まるといっても過言ではありません。「信じ合える仲間を集めて大切にしなよ」というアドバイスですかね。

あとは、もっと多様な起業の在り方、経営の在り方があって良いと思っています。なので、頑固すぎるのは考えものですが、世の中のトレンドや固定概念にあまり引っ張られすぎず、自分の哲学や信念、やりたい事業や得意なこと、向き不向きや好き嫌いをもっと自由に経営の中に取り入れても良いのではないかと。効率的で無駄がない、いわゆる合理的に考えて正解らしきものを出すのは今後どんどんAIにとって代わられていきます。そんな中で、起業家や経営者は人間ならではの、ある種非合理的なものや異常値をコンセプトや戦略に組み込むことが非常に重要になってくると考えています。

――事業を生み出すことにキャリアを通じて取り組んできた北嶋さんから「仲間が大切」「非合理を戦略に組み込む」といった言葉が出るのは、新鮮ですが説得力もあります。

個人ではできない規模の大きなチャレンジをするために会社組織があり、そのために構想を魅力的に語って、仲間やお金やいろんな経営資源を集めるのがリーダーの役割であり素質です。事業創りは組織創りとイコールだと思っていて、AIが台頭してきても人が担う役割は変わらないでしょう。それくらい人、仲間は経営において大切なものです。