標準化は国力そのものだ―。NEC特別顧問が語る「日本の戦略」とは
(※本記事は経済産業省が運営するウェブメディア「METI Journal オンライン」に2025年10月6日付で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)
標準化を巡る世界の現状や日本の現在地、これからの行く末など様々な人や企業を通して見つめてきた政策特集「標準化で世界市場をつかむ」。最終回は、日本電気(NEC)特別顧問で日本産業標準調査会(JISC)会長を務める遠藤信博さんのインタビューをお届けする。日本はこれから標準化とどう向き合っていけばいいのか、日本の強みはどこにあり、課題は何なのか――。経済産業省基準認証政策課に在籍する入省4年目の若手、安ヵ川彩乃が迫った。
マーケットオリエンティドで市場のニーズに応える
安ヵ川 私は4年目で標準化や基本認証政策に関わって1年たったところです。少しずつ全体像が見えてきましたが、今もいろいろと勉強しています。標準化の中には基盤的な活動と戦略的な活動があると思います。企業や国にとって標準化の戦略を考えることの重要性をどのようにお考えですか。
遠藤 標準化については、色々な視点があると思います。まずは学校で習う「標準器」というものが標準化の物理的な基礎になっているわけです。重さや長さなどを定義することで、同じ測量の仕方で建物が建てられ、製品がつくられる。同時に「ISO9000」のようにプロセスを定義することで製造工程の安全性を高めるということも進んできた。人間社会に与えられる価値は非常に大きいわけです。
その上で技術の観点から言うと、技術そのものをインターフェース※を含めて定義し、標準化することで、より多くの人が参加し、より大きな価値を生み出すことができます。
戦略の重要性ということですが、国、企業の視点で言えばグローバルに展開していく観点から、どのような国、企業とパートナーを組んで国際標準化をしていくかが非常に大きなポイントです。
私が最も意識しているのは、標準化はマーケティングそのものだという点です。我々は何かの製品を販売する時に、大変なリソースを使ってマーケティングを展開するわけですが、自らが主導して標準化すれば、多くの方が標準化されたものをベースに製品を買い求めることになる。つまり標準化はマーケティングの一部を担っているのです。
我々は、つくり上げた技術がまずあって、それをどうやって標準化を通して多くの皆さんに使ってもらおうかという方向で考えがちです。つまりシーズオリエンティド※なわけです。それだけではなく、お客様の側から見た時に、使いやすい形、使いやすいインターフェースとはどういうものか、マーケットオリエンティド※の観点も必要です。まさに標準化戦略が必要な領域です。
※インターフェース…異なるシステム、装置またはソフトウェア間の相互作用を可能にする境界または接続点。
※シーズオリエンティド…自社の開発した技術やノウハウを元に商品やサービス開発すること。
※マーケットオリエンティド…市場のニーズを元に商品やサービス開発すること。
 
人口が大きなファクター。パートナーシップの形成が重要
安ヵ川 標準化を使ったマーケティングというところでは、特に欧州がうまく活用しているように思います。当然、日本もこれを使っていかなくてはならないと思いますが。
遠藤 まずは、どういったパートナーシップで標準化を進めていくかが大きな戦略だと言えます。より多くの賛同者を得て、より価値の高い標準をつくり上げていくことに意識を向けることが重要だと思います。パートナーシップを形成するために、リーダーシップが必要となります。
その際には、人口というものが大きなファクターとなります。欧州は標準化に長(た)けていますが、EU内で人口が1億人を超える国はありません。そこで、EUという枠組みを構築し、約5億人の市場を作りました。現在は紛争を抱えていますが、東欧、ロシアなども含めると約11億人の市場になります。1社で5億人の市場を相手にするのは、なかなか難しい。そこで、企業が集まり標準化をすることで、同品質製品の提供を可能とし、顧客が安心して購入できる環境を整えるのです。さらに、1億人の市場と5億人、11億人の市場とでは、需要物量が市場に与える影響は大きく、標準化により部品の共通化が進むことで、低コストでの製品供給が可能となり、需要拡大への影響は非常に大きいものになるわけです。
その意味で、約14億人とされるインド、中国、約3億人の米国などは、標準化が非常に大きなインパクトを持つことになります。一方で、日本には約1億人しかいない。日本発の標準を多くの人々に使ってもらうことで、多くの方々に価値を提供できるということを、しっかりと示す必要があります。そのシナリオを準備することが、日本主導でパートナーシップを構築するために最も必要なことだと思います。
安ヵ川 欧州だけでなく米国、中国も標準化に力を入れている中で、日本に強み、弱みがあるとすれば、どういったところでしょう。
遠藤 強みは明確。人材です。世界の中でも日本の中高校生の学力はトップレベルです。これを我々の強みとして最大限いかし、価値創造、価値貢献していくことが重要です。良い人材を生み出し続けることができなければ、日本の経済安全保障は持続性を失います。人材は本当に大切にしなければいけないし、必死で育てないといけません。
弱みは人口です。人口の減少を止めることができるはずなのに、止めることができない。そこは最大の弱みになりますね。
 
「不可欠性」を保てなければ「自立性」保てず
安ヵ川 市場を創出・拡大していくことの重要性については経済産業省も常々言っているところですが、自分たちだけではなく仲間とのパートナーシップを構築する中で、大きい市場を獲得していく、全体のコストダウンを図っていくことが重要だという点、すごく勉強になりました。標準化には企業や大学などの研究機関、政府など様々なステークホルダーが関わっています。各ステークホルダーの役割について、どのようにお考えでしょうか。
遠藤 産官学または企業間のコラボレーションは非常に重要です。特に戦略という観点では産官学の協議の場は必要不可欠であり、そこで議論すべきは中長期の戦略だと思います。一つの技術が開発されたとして、そこのインターフェースは一時期のものです。時間が経過する中で変化し、ソリューションの高度化、価値の高度化が進み、市場に提供されることになるかもしれません。
時間軸の中で一つの標準が長期にわたって価値を持つことができるかどうかは、どのように価値の中長期のシナリオをつくり、標準化を意識するかに掛かっています。技術がどのように進化し、これにより関連するアプリケーションの価値がどう進化していくかを見通しながら、今決めるべき標準化はどうあるべきか、中長期のシナリオとともに練っていく必要があります。中長期の技術進化の動向を推定する上では、アカデミアの役割は非常に重要です。
標準化は産業政策にも直結するものであり、官と共に議論する場を持ち、定常的に議論することが重要です。経済安全保障を軸に、様々議論を率直にできる環境になってきたのは非常に良いことです。島国である日本は、他国から「なくてはならない国」と思われるような不可欠性を保てなければ、自立性を保つことができません。その意味で、標準化の中長期の戦略という観点は、経済安全保障そのものに関わってきます。
知財の活用の仕方が重要。基礎研究段階から仲間作りを
安ヵ川 おっしゃる通り先を読んで、中長期のシナリオを構築できるかどうかが重要だと感じました。技術開発を進めると同時にシナリオを考えるということが企業に求められると思います。どのようなスキルや考え方がもとめられるのでしょうか。
遠藤 なかなか難しい質問です。技術開発のスピードがどんどんと速まるなかで、その技術がさらに発展した結果、どういった価値創造、価値貢献を新たに付け加えることができるのかという中長期の視点と、広い視野を持つことができるかどうかが、経営者、技術者にとって重要になってくると思います。イノベーションには、多様性が必要とよく言われますが、
他の企業の専門家の方々、産官の方々が一堂に集まり、中長期の観点で議論する場があることが望ましいと思います。
安ヵ川 私は人材政策にも関わっているので気になっているところです。企業ごとにそれぞれ違いはあると思いますが、経営に関わっている方、技術開発に関わっている方など各部門の方々が、それぞれ標準化をマーケティングの重要なツールとして意識することが、一つ重要になりますね。
遠藤 企業は常に知的財産(知財)というものの活用を意識する必要があります。知財をどのように活用するかは企業の役目です。社員全員が共有していなければならないと思います。ただ、知財のいかし方という点で、知財をマーケティングの一助として標準化に使うという戦略を日本の企業はイメージできていないと感じています。
ただ、経済産業省が力を入れ、さらに経団連でも経済産業省と共に講演会などを積極的に開催されていることもあり、この2年程度で、標準化の重要性について経営層が理解し始めたと思います。日本はこれまで、知財に関してはシーズオリエンティドでした。それをマーケットオリエンティドで見ていくことで、特許として保護すべきものなのか、標準化して活用すべきなのか、知財の標準化としての使い方を考える時期に来ています。
もう一つ、標準化のパートナーシップを考えた時、基礎研究段階からの仲間づくりを進めることが非常に効果的だと思います。基礎研究段階から、日本が主導してパートナーづくり、グループづくりを進める努力が、将来の標準化の大きな力になります。
 
カギ握る経営層の理解。政府主導でパートナーづくりの場を
安ヵ川 確かに基礎研究の段階からというのは大事なところだと思っています。ただ、企業にとっては、基礎研究の段階では、その技術がどのような商品になっていくのか、なかなか見えないというところもあると思います。そこは、どのように考えればいいのでしょうか。
遠藤 例えば量子技術の分野では、「量子技術による新産業創出協議会」(Q-STAR)という組織があります。先日も日本でシンポジウムが開催されましたが、こうした場でグローバルに呼びかけて、深いディスカッションをすることは、パートナーづくりの良いきっかけになると思います。海外の方は、日本政府の後ろ盾があることに価値を感じて参加していると思います。政府の関わりがとても重要です。
安ヵ川 標準化の活動は長期的な取り組みになります。そこに資金を投じる、リソースを割くためのモチベーションを高めるため、政府はどのような伝え方をしていけばいいのでしょうか。
遠藤 企業のモチベーションの最大のポイントは、自分たちの技術、ソリューションを多くの人々に使っていただき、人間社会に大きな価値貢献をすることだと思います。その点を理解して、標準化を進める経営層を、まずはつくっていくことです。
欧州では表だってはしないものの、当然のように企業間でディスカッションをしています。私自身、ドイツの電機メーカーと一緒に第3世代移動通信システム(3G)の開発をしていた時に、一緒に標準化を検討しないかと声が掛かった経験があります。日本にいるとそういうことは絶対にありえません。だからこそ、Q-STARのような場をつくり、グローバルなシンポジウムなどを開催するといったことが重要になります。その発展系として、いろいろな声掛けがあるかもしれない。まずは場をつくることだと思います。
AI、ロボティクス…。社会の価値観揺るがす変化に備えよ
安ヵ川 日本として特に注力して標準化戦略を推し進めるべき分野はどういったところでしょうか。
遠藤 これから大きな価値を生み出すであろう領域はどこか。それはしっかりと見ておかないといけないと思います。私が気になっているのは、通貨の有り方がどうなっていくのかです。社会システムの課題に関して、標準化の役割がどうなっていくのか、今から研究しておくべきだという気がします。AIについても、AIが生み出す価値そのものと安全性について、どのように考えていけばいいのか、大変興味があります。
強く意識すべきだと思うのは、ロボティクスの分野です。興味があると同時に怖さも感じています。2030年までには実用化の最初の段階に入ると思いますが、その段階に入ってしまうと、一気に広がって標準化が間に合わなくなってしまうかもしれません。
何をどこまで標準化すれば安全にロボットを受け入れることができるのか。ロボット間でのインターオペラビリティーは。ハード、ソフトの観点、或いは一体として、どう扱うべきか。そして、ロボティクスの時代の人間社会はどのように変化する可能性があるのか。人間社会の価値観に大きな影響を与えるものですから、常に標準化の観点から意識して、議論を十分に重ねておく必要があると思います。

中長期のシナリオ、どのように描くか。産官学で知恵を出せ
安ヵ川 どういった価値を生み出すかはなかなか見えにくく、シナリオを書くのも難しいと思います。どのように進めていくことが必要ですか。
遠藤 一つの技術が人間社会にどのような影響を与えるかということは、特に政府系の研究機関や大学などが主体となって、常に研究してもらう必要があると思います。それが一番効率的でもあります。製品化するには企業が入っていく必要があるので、企業の研究機関や企画開発分野が加わる必要があります。そういう方々が、20人程度の少数精鋭で集まって議論していただくのが一番良い進め方ではないかと思います。
私の経験上、標準化で最もインパクトを受けたのは、第2世代移動通信システム(2G)で、欧州発のGSM(global system for mobile communications)が標準規格となったことでした。なぜGSMが勝って、我々が負けたのかを考えると、やはりGSMのほうが中長期のシナリオを持った標準化のつくり方だったからです。標準化の基を欧州に押さえられてしまったことで、その後、新しいスペックがリリースされるたびに、一から開発し、開発費用もどんどんかさみ、マーケットに出すタイミングも遅れる。一方で、欧州企業は最初の段階でシナリオを書き終えているので、付け足していくだけでいいのです。
経済安全保障の観点から、自立性を保つための不可欠性をサステナブルに成立させるために、どのような方法論を持っているかが重要です。その中で、標準化は非常に大きな領域であることは間違いありません。そのような意識を常に持って、標準化活動を進めていくべきだと考えています。
安ヵ川 経済安全保障の観点から、しっかりと産業の中でシナリオをつくり、日本がリードしていくことの重要性を感じました。
遠藤 おっしゃるとおりで、標準化は国力そのものだと思います。情報、知財などと共に産業力、価値創造力に関わる国力の一部をなすものだと思います。
大切な友好国の存在。仲間づくり常に意識を
安ヵ川 国力を上げるための標準化にどうやって日本の産業界が向き合っていくべきか。若手への期待も込めてメッセージをいただけますか。
遠藤 「中長期的な戦略」「基礎研究段階からの仲間づくりへの意識」「シーズオリエンティドとマーケットオリエンティド両方の視点」を持って、より良い標準化づくりを進めてほしい。大陸の国であれば嫌でも国境を接している国があって、緊張感を保ちながらパートナーシップづくりができます。しかし、島国の日本が友好国をつくっていくには、自ら意識してパートナーづくりの努力をしていく必要があります。
友好国づくりは、日本という国の不可欠性に大きく関わってきます。政府が中心になって橋をかけて、我々企業がその橋を渡っていくのだと思います。友好国の存在はますます重要性を増していきます。若い人たちには、是非そのことを意識していただきたいと思います。
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