沖縄ツーリスト、地域に根ざした沖縄観光を 沖縄最大の旅行会社が描く将来

(※本記事は経済産業省が運営するウェブメディア「METI Journal オンライン」に2024年9月17日付で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)

観光は沖縄県にとって、県内総生産の約2割を占める重要な産業だ。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で激減した観光客が戻り、ホテルの新規開業も相次ぐなど、以前の活況を取り戻しつつある。そうした中、1958年に創業した沖縄ツーリストは、沖縄最大の旅行会社として、観光業の盛衰を見つめてきた。「沖縄の観光業が成長産業であることを示せるよう驀進(ばくしん)していきたい」と東良和会長(64)は話す。同時に規模の拡大のみを目指すのではなく、利益を社員に還元し、社会貢献にも努めていきたいという。東会長が今、思い描く沖縄観光、そして観光立国日本の将来像とは?

沖縄ツーリストのオフィスの外観
沖縄県庁から国際通りに向かうと、真っ先に見えてくる沖縄ツーリスト。1階部分がコンビニエンスストアで、上階にオフィスがある

時代でさまざまな顔を見せる沖縄観光

戦後の沖縄観光は年代ごとにさまざまな様相を示してきた。例えば、終戦直後から1972年の本土復帰まで、本土からの旅行者は慰霊訪問団中心。当時はアメリカ占領下で、本土から沖縄への旅行にパスポートが必要な時代だった。復帰後は75年の沖縄国際海洋博覧会を契機として、観光地としての沖縄が一般旅行客の間に定着した。

2階にある旅行カウンターの様子
2階にある旅行カウンターでは琉装などを試すこともできる

80年代以降はバブル経済の影響もあってリゾートホテルの開業が相次ぎ、90年代に入ると、航空運賃の自由化や旅行商品の低価格化によって観光客が急増した。安室奈美恵さんの活躍に加え、2000年に開催された沖縄サミット、そしてNHKの朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」などが放映されたこともあり、沖縄人気は全国区となり、海外からの観光客も増え、18年に年間の入域観光客数は1000万人を突破した。

ジェンダーレスの制服を着た東会長と3人の従業員
以前は男女で色柄の異なるアロハシャツを制服にしていたが、今年8月からジェンダーレスの制服を採用。「SDGsの観点からペットボトル100%再生した生地を利用しています」と話す東会長(右端)

コロナ禍で激減した観光客がV字回復

ところが、20年に入ると、新型コロナウイルスの感染が拡大し、旅行客は激減。停滞は4年近く続いたものの、23年5月にコロナの感染法上の分類が5類に移行してからV字回復を果たし、23年度の沖縄の観光収入は8000億円を超え、過去最高を記録した。

古い集合写真
創業から2年を経た1960年正月に集ったスタッフたち。前列左端が当時の東良恒社長

「それらすべての局面に我が社は立ち会ってきました」と東会長は話す。それもそのはず。沖縄ツーリストの創業は1958年10月。国際旅行業務に長けた若者6人で旅行会社を設立し、その中の一人が東会長の父親、東良恒氏で初代社長を務めた。資本金は当時流通していた米ドルで3000ドル。「まさに慰霊団の受け入れを手がけることから、我が社の事業が始まりました」

沖縄観光の推移のグラフ
(※画像クリックで拡大)

66年に東京営業所を開設し、本土から沖縄への送客基盤を築いた。70年にはレンタカー事業に参入した。80年代後半に入ると、沖縄発のチャーター便による海外旅行を積極的に企画。沖縄からの移民が数多く暮らす南米やハワイにも大型機材によるチャーター企画を実施した。

車の前に二人の男性が立っている古い写真
レンタカー事業のスタート時は中古外車10台足らずで、主な顧客は米軍関係者だったという

30年前に引き戻されたような状況を嘆く

「新型コロナウイルス感染拡大では巨大な損失を被りました」と東会長は話す。その3年間、国内外のツアー催行は中断を余儀なくされ、19年に634人いた社員は23年に282人に激減。19年に約75億円あった売り上げも翌年には約17億円になってしまった。途中、海外の事業所を閉鎖したり、北海道のレンタカー事業を譲渡したり。「右肩上がりの続いてきた我が社の観光事業が、いきなり30年前に引き戻されたような状況でした」

大きなホールに人が集まっている様子
創業65周年を祝うイベントは関係者を集めて那覇市内で盛大に行われた

もっとも、22年以降、沖縄観光が文字通りV字回復したことに加え、コロナ禍で行った不採算店舗の閉鎖や海外子会社の閉社などのスリム化を図ったことも奏功して、23年の純利益は16億円を超え、創業以来の最高益を記録。「おかげさまで65周年を記念するイベントも23年10月に那覇市内で盛大に行うことができました」

現在はDXにも力を入れる。昨年からサービスを提供している「デジタルDMOプラットフォーム」はその一つ。事業者が独自のコンテンツを組み込んだオリジナルツアーを作ることができる。例えば、地域でイベントを企画している事業者が、ホームページにリンクを設定することで、沖縄ツーリストを通して航空券やホテルなどを予約することができる。「デジタルの力を借りながら、地域の優れたアクティビティに光を当てる試み」と東会長は話す。

東会長は早稲田大学社会科学部を卒業後、日本航空に入社。その後、米コーネル大学経営大学院を修了し、1990年に沖縄ツーリストに入社した。2004年に社長に就き、14年から現職。現在、沖縄経済同友会の副代表幹事や観光庁のVISIT JAPAN大使なども兼務し、沖縄という枠を超え、日本の観光行政に対する論客としても知られる。

生活の質を大切にすることがモットー

もっとも、その経営に奇策はないという。大切にしているのがQOL。すなわち、「Quality of Life(生活の質)」だ。自らが代表に就いてから、利用客、地域社会、そして社員を含めた観光産業従事者のQOL向上に寄与できるホスピタリティー・カンパニーを目指しているという。その象徴が健康経営の推進。16年には喫煙による健康被害を防ごうと、健康経営推進室と各部署に健康づくり担当を新設。試行錯誤の末、20年1月に社内の喫煙者ゼロを達成した。さらに暴飲暴食を防ぎ、十分な睡眠をとることを目的にした「シンデレラ運動」も展開。こちらは24時までに帰宅し、就寝することを勧める取り組みだ。こうした取り組みが評価され、日本健康会議による「健康経営優良法人部門(ブライト500)」に、21年から4年連続で認定されている。

「健康経営」がサービス向上につながる

レンタカー営業所を上から移した写真
一部のレンタカー営業所では太陽光発電も始め、脱炭素社会に貢献

しかし、健康経営は利益を生むのか? 「私たちは長いスパンで考えています。将来に向けて安心して働ける環境を整えることは、社員にとってはもちろん、弊社を利用していただくお客様に対するサービス向上につながると考えています」と東会長は話す。その延長線でSDGs(持続可能な開発目標)にも力を入れる。昨年、那覇空港近くにあるレンタカーのステーションで運用を始めた太陽光発電設備もその一つ。施設の年間使用電力量の半分をまかなうという。さらに、レンタカーの電気自動車導入も積極的に行っていく予定だ。「コロナ禍を経験して、観光業にとって平和であることがいかに大切なのかを実感しました。だから、これからも地域に根ざし、平和に寄与できる企業でありたい。そのための足がかりが、QOLやサスティナビリティに対する取り組みなのです」。万事、効率が求められる時代にあって、それとは一線を画して、地域にどうしたら役に立てるのか――。そうした東会長の想いが地域で輝く企業に欠かせない要素のように感じた。

首里城正殿の工事の様子
2019年に焼失した首里城正殿。来年の公開を目指して復元が急ピッチで進み、その過程を観光客にも公開している

【企業情報】▽公式企業サイト=https://otspremium.com/▽代表者=東良和会長▽社員数291人(2024年4月1日現在)▽資本金7755万円▽創業=1958年10月1日

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