害虫の「駆除」から「予防」へ 人と自然が共生する未来を

父親の創業した会社を承継後、「新しいことに踏み出す」べく、大学院への進学を決意。2年間の院生生活でまとめたアイデアを基に、多様なパートナーとの連携を築いていった。「人と自然が共生する未来を創りたい」と語る、想いのルーツとは何か。

事業承継の葛藤から
新規事業の可能性を模索

岡部美楠子氏は父親が1960年に創業した害虫駆除会社「シェル商事」を2010年に事業承継し経営を担い、2018年12月に「予防」の観点での環境コンサルティング・啓蒙活動・研修・商品開発等を主な事業とする8thCAL株式会社を設立した。その動機を次のように語る。

岡部 美楠子(8thCAL 代表取締役社長 シェルホールディングス 代表取締役社長 シェル商事 代表取締役社長) 事業構想大学院大学 4期生(2017年度修了)

「父から受け継いだ"都市の衛生環境を守る"という企業使命を果たし続けるには、これまでのように殺虫剤を使用しての駆除作業という手段に頼っていて良いのだろうか、害虫駆除の現場では、清掃状況によっては虫やその他の生き物を意図しないまま誘引している可能性があるのではないだろうか、といったある種の違和感を抱えていたものの、具体的な解決方法の開発に着手できないまま事業承継後の経営に邁進してきました。また、害虫駆除の分野では法令により定められた業務や作業が多いため、事業としての安定感がある一方、根本的な環境改善や予防対策をせずに殺虫剤を使用し続けてしまうと、環境に悪影響を及ぼし、薬剤耐性個体を増やしてしまうといったリスクがあるかと思います。このように違和感を抱く現状を打破する段階にきていると感じていたのです」

新しいことに踏み出すべく事業構想大学院大学への入学を決意。岸波宗洋教授の下で、自身の「存在次元」を掘り下げ、「違和感」の根源に立ち戻っていった。そこでたどり着いたのは、人が自然の一部として存在し、他の生き物と共生することができる社会を創りたい――という想いだった。

2年間の大学院生活は、「時間を掛けた対話の場」だったと語る岡部氏。

「社会人になると『対話』の機会を持つことが限りなく少なくなると感じていました。他方で、自分が事業に取り組む明確な意義が見つけられずに、どこか気持ちが塞ぐこともありました。大学院では自分の想いや実現したい未来について安心して話すことができる教授陣や同期と出会い、対話を重ねることにより、自分が全身全霊でこの事業に取り組む意義・存在次元を見つけることができました。現代の人間の叡智やテクノロジー・建築技術などをトータルで駆使することができれば、理想的な環境を創ることが可能となり、人間の生活環境に他の生き物を誘引することを防げるのではないだろうかという仮説を立てました。これは地球上で各々の生物がすみかを棲み分けて共生するような『ゆるやかな境界線』をデザインしていくということです。自分自身も2児の母として、今後子どもたちが生きていく『今より一秒先の未来』を少しでも善くするために、力強く邁進していこうと思います」

これからの脅威に必要な
アカデミアとサイエンスの知見

8thCALは、環境コンサルテーション・啓発・研修・商品開発を軸とする。

「害虫駆除は、薬による駆除という方法だけでなく、昆虫の生態や行動といった学術的な視点・科学技術を含むテクノロジーを駆使し、建築物や街のデザインを工夫することで、その侵入を防げられる可能性があります。8thCALは、そうした未知のアプローチを模索していきたいのです」

公衆衛生の分野においては、現在トコジラミの流入・繁殖が喫緊の課題であるという。トコジラミの被害は吸血による激しい痒みに留まらず、不眠症や精神障害などを引き起こす。また、経済的被害としては、高額な駆除費用や宿泊施設等における風評被害、完全駆除できるまでの営業機会損失、トコジラミの血糞による家具や屋内の汚損などが挙げられ、海外では数多くの訴訟問題となっている実例もある。

「トコジラミは早期発見が難しいうえ、繁殖スピードが極めて速く、近年は薬剤耐性のある個体や、現状使用できる薬剤が効きにくい熱帯性の種も日本国内に定着しつつあります」

訪日外国人が一層増加する2020東京オリンピック・パラリンピックに際し、海外から持ち込まれることが多いトコジラミが大繁殖すると、宿泊業界に甚大な経済損失をもたらす可能性がある。また、一般家庭にもトコジラミが侵入し、吸血被害にあう人の増加が懸念される。

「こうした害虫・害獣対策において、都市型昆虫学の研究が進んでいる欧米の研究者との交流を図り、一次情報としての知見を得るべく、国際展示会などに積極的に参加しネットワークを構築してきました」

8thCALの事業に直結する発見や示唆も多く、「かつて父親が創業初期にアメリカ視察をして事業を発展させてきたというストーリーとどこか重なる部分がある」と岡部氏は語る。

8thCALとシェル商事の事業シナジーイメージ

 

気付きを促すデザインの力

「私自身、武蔵野美術大学で照明デザインを専攻し都市計画にもたらす光の効果やデザインを学び、アメリカ留学時代には視覚的コミュニケーションに欠かせないグラフィックデザインを学びました。この事業構想大学院大学でも、たまたま大学の同窓生が何名かおり、実際に新規事業を手伝っていただく機会に恵まれました。この際にも、人に何かを伝えるときのデザインの力を再確信しました」

併せて、アート活動としての取り組 みにも意欲的だ。

「例えばゴキブリは、その見た目や生態を多くの人が忌み嫌いますが、実は彼らのすべての種が死に絶えてしまうと森林が崩壊してしまうという貴重な存在なのです。そんな彼らを表現のモチーフに用い、『どんな命にもある美しい部分』を感じ興味を持ってもらうことで『ゴキブリの存在意義とは何か?』について考える機会になればと願うのです。こうした観点で、アーティストやデザイナーとの表現活動を展開していきたいと考えます」

最近では、大手企業とのパートナーシップも実現。「2019年3月、技術特許を保有する技術者と知り合い、8thCALのアイデアを話したところ協働がスタートしました。10月にはアメリカの害虫駆除の世界大会に初出展。12月には国内での展示会にて発表させていただきました。国内でも実際トコジラミの被害にあわれている施設様も多く、手ごたえを感じました」

10月サンディエゴで開催された「PestWorld 2019」に出展(主催:National Pest Management Association)

今後も様々な事業者との連携を広げていきたいと岡部氏は語る。

「振り返れば、様々な連携の鍵となったのが、2年間の大学院生活でまとめた事業構想計画書でした。『計画書はゴールではない、仲間集めのツールなのだ』という岸波教授の言葉を噛み締め、これからも事業に邁進していきたいと思います」