実務家の「知」を理論化するため 「実践の理論」を検討する

過去にもさまざまな形で、専門的な知識を社会で共有する方法が試されてきた。現場の経験を理論化する方法についての共通認識はまだ存在していない。ここでは筆者がこれまで整理してきた「実践の理論」ついて述べる。

知識の複線化

「実践の理論」そのものの発想は、これまでなかったわけではない。知識の社会史を紐解けば、さまざまな分野において学者(いまでいう研究者)と職人(いまでいう実務家)の知見が相互に作用して新たな知識が形成されてきた[Burke]。いわゆる専門知(expertise)と実用的知識(know-how)――例えば、非言語的な職人芸、建築、料理、織物、治療、農耕などの知――が同様に重要なものとして扱われてきた。啓蒙主義時代のディドロ・ダランベールの『百科全書』にそうした実用的知識を取り込み言語にできないものは図絵にして収録したことからも見て取れる。ところが、現代になるにしたがって、専門知と実用的知識の断絶が、それは理論と実践の断絶と言い換えられるような事態が生じたのである。

この理論と実践の断絶は、『省察的実践とは何か』を著したドナルド・ショーンによっても指摘されていることである。ショーンは、実務家の多くが「自分に知っていることは言葉に出せない」であるとか「自分が知っていることを述べようとすれば、自分がダメになってしまう」などということで、ますます理論と実践の分離に貢献することになると指摘している。研究者もそうした実務家の実践を無視するわけにもいかず、他方で実務家が何をしているのかを知るすべがないことになる。

ショーンが指摘し問題視している上で述べられている点は、よく考えてみればディドロ・ダランベールの『百科全書』で問題意識として企図されていたことと同じである。彼らは『百科全書』によって、これまで徒弟制度によって職人芸的に守られていた知識を誰もが見られるように開放した。その結果、これまで職業選択に制約があったものが、その制約がなくなったのである。

現代日本社会において職業選択に制約はされてはいないが、それぞれの知識をそれぞれの領域にとどめておくのではなく、さまざまな知識を組み合わせることによって社会の課題解決にあてるべきであろう。

実践の理論の構成要素

実践の理論は大きく「実践的知識」と「実践的知識についての知識」の組み合わせで成立している。

実践の理論の中核をなすのは、実務の現場で得られた暗黙知を形式知化したものである。これを形式知化されたものとして実践知と区別して実践的知識と呼ぶ。実践的知識は、その出自からもわかるようにある実践現場での行為能力に役立つようにつくられている知識である。別の言い方をすれば、その実践での問題解決あるいは課題達成に使われている知見である。そうした意味では、実践的知識はきわめてその実践現場に土着している局在的な知識(ローカルナレッジ) 1)である。

「実践の理論」にするためには、実践的知識だけでは不十分である。その実践的な知識がどのような実践の場面で使える知識であるのか、その実践的知識をどのように使い、どのような効果をもたらすのかということをその文脈を共有しない人にわかるようにしなければならない。

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1) ローカルナレッジについては、ギアツが『ローカル・ナレッジ』で言及している。基本的には、文脈を超えた一般性を持たない。そして、その現場にいる人でないとその知識そのものも認知されていない。