実務家教員が求められる社会的背景(その3)

ところで、「知識社会」と「知識基盤社会」という言葉に違いがあるのだろうか。筆者は、ほぼ同義語であると考えている。

『我が国の高等教育の将来像(答申)』では、書かれている「知識基盤社会」の特質として次の4つの点を代表的な例として挙げている。第一に、知識には国境がなくグローバル化が一層進むこと。第二に、知識は日進月歩であり競争と技術革新が絶え間なく生まれること。第三に、知識の進展は旧来のパラダイムの転換を伴うことが多く幅広い知識と柔軟な思考力に基づく判断が一層重要となること。第四に、性別や年齢を問わず参画することが促進されること。

これらの指摘は、ドラッカーの『断絶の時代』やそれに続く著作のなかで提示された知識社会の特徴をほぼ踏襲しているといってよい。『ネクスト・ソサエティ』(2002)でドラッカーは知識社会の特質として、「第一に、知識は資金よりも容易に移動するがゆえに、いかなる境界もない社会となる。第二に、万人に教育の機会が与えられるがゆえに、上方への移動が自由な社会となる。第三に、万人が生産手段としての知識を手に入れ、しかも万人が勝てるがわけではないがゆえに、成功と失敗の並存する社会となる」と指摘している。こうしたことから先の答申が示している「知識基盤社会」という言葉はドラッカーやベルの「知識社会論」と同じ系譜上にある。したがって本稿では「知識基盤社会」も「知識社会」も同様の事態を示すものとして捉え、「知識社会」の語句で統一したい。

ところで知識社会とは、知識がさまざまな社会領域の活動の基盤となる社会である。一方でドラッカーは、土地、労働力、資本という生産要素のみならず知識が重要な要素になることを指摘しており、他方でベル(1995)は脱工業社会において知識が戦略的資源であることを主張している。

知識社会において富を得るためには、富の源泉となる知識を多く生産することが鍵となる。さまざまな社会資源を知識生産にシフトさせていくため知識の生産活動はよりいっそう活発化する。知識生成のスピードは、ますます加速することになる。知識のライフサイクルは一段と早くなり、知識の陳腐化のスピードも速くなる。

このように知識が富の源泉となることで、知識を持つ者と持たない者の格差は広がりをみせる。知識を生み出す労働者(知識労働者)は高い報酬を得ることになるが、知識を消費する労働者(サービス労働者)は安い報酬しか得られないことになる。両者の間に貧富の格差が広がる可能性が生じる。この格差の問題は、知識社会における社会問題となる。両者の格差をなくすための方策として「学びの社会保障」を講じる必要性が生じてくるだろう。

ところで知識を消費する労働者とは、簡単に言えば与えられたマニュアルを使う労働者のことをさしている。G・リッツァのいう「マック職」のそれに似ている。「マック職」はリッツァが唱えたマクドナルド化の概念が背景となっている。「マック職」とは、効率化するために業務が細分化され、何をすればよいのか手順が細かく明示されている。仕事の内容が予測できるルーティン化された業務に従事する職である。他方で、マニュアルを創り出す者は知識労働者となる。マニュアルが作られることによりさまざまな職業において「脱技能化」が推し進められることになる。

参考文献
P・Fドラッカー(2002)『ネクスト・ソサエティ』ダイヤモンド社
D・ベル(1995)『知識社会の衝撃』阪急コミュニケーションズ
G・リッツァ(2001)『マクドナルド化する社会』早稲田大学出版部