「持論」から「実践の理論」へ 実務家教員に求められる経験の省察

前の第2回では、実務家教員が多様な領域で必要とされることを指摘した。本稿では、実務家教員に要請される、実践の「持論」から「理論」への進化について述べる。

そもそもなぜ実務家教員がクローズアップされているのだろうか。今般公表された「柴山プラン」にも実務家教員養成プログラムの開発が掲げられている。これらの背景としての「大学改革」は前回触れた。より広い文脈で考えてみると、実務家教員のなすべき役割が見えてくる。そもそも、実務家教員が大学改革におけるキーワードとなるにはそれなりの理由があるだろう。

高度に複雑化した社会では、さまざまな知識やスキルが要求されるようになった。こうした知識生産に対応する社会制度が大学であった。大学は、従来より学部学科というディシプリンが基礎となる知識を生産する社会組織である。こうした学部学科制度に依拠した知識生産の方法は、高度に専門的な知識をもたらしたが、社会と学問の間に大きな乖離を生み出すことになった(もちろん、それが良いこともあれば悪いこともある)。

それらに対応するため、学際領域の発明や大学のなかに研究センターなどをつくり、社会から大学にたいするストレスを緩和させてきた。これらは、学問と学問の隙間を埋めようとする努力であった。ところが、それでは現代社会が要求する知識やスキルを満たすことは困難な状況になっている。いまや、学問と学問の隙間ではなく、学問と社会、あるいは学問とほかの社会領域の隙間を埋めなければならないのである。そのためには、大学の従来からの知と社会から要求されるさまざまな知識やスキルを融合させなければならない。社会に散在する知識やスキルを結晶化させることが必要である。社会に散在する知識やスキルの担い手は、現に活躍する実務家である。

実践の理論

したがって、実務家教員は自身の実務経験を振り返り、実践の理論(実務をリフレクションするという意味で反省理論と言える)を構築する必要がある。これまでの実務経験をたんに振り返るだけでは、ただの持論や昔話になってしまう。そうではなく実務を省察し論理を構築し、持論から実践の理論へと進化させる必要がある。

こうした実践の理論が生成されるなかで、従来の専門知と実践知の融合が図られるのである。専門知と実践知の融合というあらたな知識生産が社会から求められており、それらを実現するに一役買うのが実務家教員なのである。

たとえば、前回に出てきた専門職大学のひとつのキーワードに「実践の理論」というのが出てくるのは、上記のような専門知と実践知の融合を指し示しているといってよいだろう。それこそが理論と実践の架橋といえるのではなかろうか。社会の要請から新しい知識生産のかたちを担うのが実務家教員の第1の役割といえるだろう。

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