実践の理論を構成するメタ知識の重要性 1階と2階の知識を結合
実践の理論におけるメタ知識
実践の理論が生成される過程は大きく2つある。ひとつは実践の場から生成された知識とその知識をいかに活用することができるのかといった知識の知識についての組み合わせによって成立するもの。もうひとつは、ある学術理論が実践の場でいかに活用されているかを明らかにすることで成立するものである。両者に関係しているのは、「知識についての知識」である。
どういうことかというと、前者は「実践の場から生まれた知識」はどこで役立てることができるのか、あるいはどのように活用できるのかという「実践の場から生まれた知識」を観察することで生まれる知識である。後者は実践の場において「学術理論」がどのように用いられているのかを観察することによって得られる知識である。これらの知識が得られたからといって「実践の場から生まれた知識」そのものを直接的に発展させるわけでもないし、「学術理論」そのものを直接的に発展させるわけではない。つまり知識の種類が違うのだ。この知識はメタ知識的な性格をもっている。
セカンド・オーダー
メタ知識について考えるためには、知識を区別する必要がある。知識は、一階(fi rst-order)の知識と二階(second-order)の知識というふたつの知識に大別することができる。一階の知識とは世界についての知識、二階の知識は知識についての知識である。
たとえば「需要曲線と供給曲線の交点が市場価格の均衡点である」という知識は、経済について述べている知識だから一階の知識ということになる。「市場価格のメカニズムについての問いは専らミクロ経済学のテーマである」という知識は、一階の知識について述べている知識だからひとつ階層が上の二階の知識ということになる。
上記の例を言いかえよう。「需要曲線と供給曲線の交点が市場価格の均衡点である」という知識は経済を分析するための具体的な知識である。他方で「市場価格のメカニズムはミクロ経済学の論点である」という知識は、経済そのものを分析するわけではなく「経済の知識」についての知識である。
同じような知識であっても、実は階層が異なっているのである。
もうひとつだけ例を挙げておこう。「1+1=2」というのは数学の知識である。これは数学の世界の中について語っている知識だから、数学の「一階の知識」である。「1+1=2というのは加法という数学の知識である」というのは、「1+1=2」という知識を観察して「数学の知識である」という知識を生み出していることになる。
さて、ここで注意しておきたいことがひとつある。それは一階の知識と二階の知識のどちらが優れているなどという優劣の差はない。あくまでも階層が異なっているだけである。
一階の観察=二階の観察?
もう少しだけ突っ込んで話をしておきたい。実は「一階の知識」もある意味では「二階の知識」であり、「二階の知識」は「一階の知識」になりうる。たとえば「1+1=2」という知識は数の世界があるとすれば、数を観察して得られたものであり、数の世界そのものではない。したがって「1+1=2」というのは数についての知識であり、数の世界から見れば一段上から見られている「二階の観察」、つまり数学という知識ということになる。
「1+1=2というのは加法という数学の知識」であるというのはどうだろうか。これは「数学についての知識」であるから「二階の知識」と言える。他方で、知識という基準でみれば、「数学についての知識」も知識のひとつだ。たとえば、「知識について研究する学問(知識社会学、科学論や認識論)」からすれば、それもひとつの「一階の知識」にすぎないのである。
ここで認識論の話を長々とするつもりはない。ただ、さきに述べたように一階と二階の知識というのはそれで優劣があるわけではないということ、そして視点をどこにあわせるのかによって変わってくるということである。
ともあれ、実践の理論とは「一階の知識」と「二階の知識」が組み合わされたものであると定義できる。