新しい食料・農業・農村基本計画で、加速するスマート農業の実装

日本の農政の中長期的なビジョンである「食料・農業・農村基本計画」は、およそ5年ごとに改正されている。2020年3月に閣議決定された新しい基本計画の要点や、スマート農業の実装に向けた取り組みについて、農林水産省前事務次官の末松広行氏が解説する。

食料・農業・農村に関して政府が中長期的に取り組む方針を定めた「食料・農業・農村基本計画」。2020年3月に閣議決定された新たな計画では、農業の成長産業化に向けて実施してきた農政改革をいっそう推進する方針が示された。

計画の前提となる考え方について、前農水省事務次官の末松広行氏はこう説明する。

末松 広行(農林水産省 前事務次官)

「まず産業政策として、農業を成長産業とするために、農地の集約、輸出の促進、農協の改革、流通・加工の効率化などを進めてきました。一方、地域政策として、『美しく活力ある農村を実現する』ことにも力を入れてきました。農業は効率化されたけれども、農村に住む人がいなくなった、ではいけません。住んでよし、訪れてよしという魅力ある農村にしていくことは、国土保全の観点からも重要です。引き続き、この二つの政策を両輪に、農林水産業の強化、農山漁村の活性化を目指すことが前提となります」

農林水産政策改革は着実に成果を生み出している。例えば、農林水産物・食品の輸出額はここ7年で倍増し、2019年には1兆円の目標には及ばなかったものの9,121億円に達した。また、生産農業所得が6年間で5,300億円増加している。

図 新たな食料・農業・農村基本計画のポイント

出典:農林水産省

 

スマート農業の加速

新たな計画における産業政策面のポイントは何になるのだろうか。

「農林水産物・食品輸出額を2030年に5兆円とすべく、さらに輸出を促進する。そして、2018年現在カロリーベースで37%の食料自給率を、2030年に45%まで引き上げる。この2つの新しい目標のもとで、生産基盤の強化、人材の育成・確保による農業経営の底上げなどの施策を進めます」

特に生産基盤の強化においては、「スマート農業の加速、農業のデジタルトランスフォーメンション、フードテックの展開などがキーワードになります。今日起こりつつある技術革新は、農業と高い親和性があると思っています」と末松氏は言う。

スマート農業技術は、営農管理からアシストスーツ、ドローン、ロボットトラクター、自動水管理、自動収穫機など多様な分野に及ぶ。農林水産省は2019年度から先端技術を生産現場に導入し、経営効果を明らかにする「スマート農業実証プロジェクト」を実施し、家族経営や中山間地域を含めた全国148地区で実証を行っている。

近年では、ドローンやIoTなどの最新技術を活用して重労働の農薬散布作業を代行したり、自動収穫ロボットを販売せず収穫量に応じて課金するRaaS(Robot as a Service)による事業が展開されたり、幅広い農業支援サービスが登場している。こうしたサービスは今後の生産基盤強化に不可欠だが、「それだけでは不十分」と末松氏は言う。

「スマート農業を通じて蓄積されたデータは、農業者やメーカー、ICTベンダーなどが共有することでいっそう価値あるものとなります。そこで農水省では、2 0 1 9 年4 月から『WAGRI』という農業データ連携基盤を運用しています」。WAGRIはデータの連携・共有・提供の機能を有し、すでに50近くの民間事業者らが利用している。「様々なデータを組み合わせ利用すれば、新しいサービスの創造にも繋がるでしょう。WAGRIを農業の高付加価値化に役立てていただきたいと思っています」

農山漁村の活性化に向けて

一方、新基本計画における農村政策面のポイントは何か。

「農村を、ずっと安心して住み続けられる場所にして、次世代に継承していくことです。これは技術の進化だけでできることではなく、省庁も含めた幅広い関係者が連携し、施策を総動員して初めて可能になります。所得と雇用機会の確保、安心して地域に住み続けるための条件整備、農村を広域的に支える動きや活力の創出という3要素を整え、次世代に継承していくことが重要だと考えています」

農村活性化に向けた取り組みの一例が、農福連携だ。農福連携は、障害を持つ人に農業で活躍してもらい、自信や生きがいを持って社会に参画してもらうための取り組みで、2019年に省庁横断の会議として「農福連携等推進会議」が設置されている。「障害者就労施設の農業参入など、様々な成功事例も出てきています」と末松氏。

今日、新型コロナウイルスの感染拡大に伴うリモートワークの普及の影響で、都市圏に住む人々が地方へ拠点を移すことに興味を持ち始めているが、地域の側も、そうしたニーズに応えられるよう魅力を高めていく必要があるという。観光客が農村に宿泊する「農泊」の推進や、農業にとって有害な鳥獣を「ジビエ」として産業資源化することも、所得や雇用につながるだけでなく、地域の魅力向上や活力の向上に貢献すると末松氏は指摘する。

「都市圏と地域を行き来する人々や、農業に直接携わらないものの様々な立場で農村に出入りする人々、つまり関係人口を増やすことが、農村に新しい動きや活力を創出する重要な要素になると考えています」

新型コロナウイルスの感染拡大は農林水産業にも様々な影響を与え、特に好調に増加してきた農林水産物・食品の輸出は大きく減少した。ただ、末松氏によれば「足元では急激に回復しつつある」という。

「これまでのインバウンド政策や輸出政策が奏功して、日本の農林水産物は、世界の人々から待望されるものになりました。さらに、新興国の経済成長に伴う富裕層の増大は、牛肉などの高級品需要の増大をもたらします。あらゆる意味で、農林水産物の輸出促進が重要になっていくわけです。農林水産省としては、短期的には新型コロナウイルスの感染拡大への対策と生産者の支援をいっそう充実させつつ、長期的には生産基盤を多面的に強化していく。民間企業の皆さんにも、自治体行政にも、新しい基本計画を今後の活動の道標にして頂きたいと思います」と末松氏は締めくくった。

 

末松 広行(すえまつ ひろゆき)
農林水産省 前事務次官