石川善樹氏 ポストコロナ社会の新たな指標・ウェルビーイング

ここ数年、綻びが指摘されてきた資本主義。コロナ禍により資本主義を基盤とした社会システムも問い直されている。我々がこれから生み出すべき豊かさ=アウトプットとは何か。予防医学研究者の石川善樹氏に、ウェルビーイングの観点から読み解いていただく。

そもそもGDPとは、
何を表す指標なのか?

ふとメディアに目をやると、「コロナによってGDPがどうなるか」というニュースばかりが飛び込んでくる。なぜ私たちは、こんなにもGDPを気にしなければならないのか? 理由は明快である。私たちが、資本主義社会に生きているからだ。

いうまでもなく、資本主義の宿命は、「つねに成長を求められる」ことにある。ではなぜ資本主義は成長を続けなければならないのか、という点についてはマクロ経済学の教科書に詳細を譲ろう。私が本稿で考察の起点としたいのは、そもそもGDPとは何であるのか、という問いである。気の早い読者もいると思うので、結論から先に述べよう。

「GDPとは、各国における"分配原資の余力"を示す指標である」

むろん、この定義は多くの人にとって直観的ではないだろう。しかし、考え方のひとつとして、社会システムを図1のようにイメージしてみよう。

図1 「社会システム」のイメージ

「社会システム」とは個人や企業組織など、社会を構成する要素全体をひとつのシステムとしてとらえた見方。これまで、資本主義の枠組みのなかではその宿命である「成長」の結果としてGDPが主な指標とされてきた。しかし、コロナ禍により従来の常識が覆されるいま、GDPを「インプット」ととらえることで社会という大きなシステムを回すために何が必要か、社会システムを回すひとつのファクターとしての経済活動に対する評価も変わってくる

出典:筆者作成

 

さて、ここで重要となる問いが、はたしてGDPはインプットなのか、アウトプットなのか、というものである。おそらく、少なからぬ多くの人は、GDPは社会システムのアウトプットと考えているのではないだろうか?だからこそ、このコロナ状況下で私たちはGDPを気にしているのである。

しかし、ここで逆転の発想というか、「じつはGDPはインプットに過ぎない」と考えてみるとどうであろうか? つまり、私たちが目指したい何がしかの「アウトプット」に向けて、社会システムという「プロセス(=エンジン)」に、GDPという「インプット(=燃料)」を投下すると考えてみるのだ。すると、GDPの大きさというのは、単にアウトプットに向けて使える燃料をどれだけ持っているか(=分配原資の余力)というだけの話になる。

社会を回すプロセスのあり方を
どう決めるか

以上の前提を踏まえたうえで、さらに考察を進めてみると、次のような2つの問いが自然に浮かんでくる。

全文をご覧いただくには有料プランへのご登録が必要です。

  • 記事本文残り62%

月刊「事業構想」購読会員登録で
全てご覧いただくことができます。
今すぐ無料トライアルに登録しよう!

初月無料トライアル!

  • 雑誌「月刊事業構想」を送料無料でお届け
  • バックナンバー含む、オリジナル記事9,000本以上が読み放題
  • フォーラム・セミナーなどイベントに優先的にご招待

※無料体験後は自動的に有料購読に移行します。無料期間内に解約しても解約金は発生しません。