東京2020パラリンピックへの視点 障害者の典型像をどう捉えるか

東京2020パラリンピックを機に、障害者スポーツや社会における多様性への理解が深まることが期待される。国内外から訪れる障害を持つ選手や観客への対応によって社会のバリアフリー化が進むことも、そのレガシーとして望まれる。

2010年の北京パラリンピックにおけるボッチャの試合。右は日本の廣瀬隆喜選手

1964年東京パラリンピックで
始まった日本の取り組み

国内では1964年東京パラリンピックを機に、障害者スポーツへの取り組みが始まった。それ以前も障害者のスポーツはあったが、組織的に取り組まれるようになったのは、この大会の開催が決まってからだ。

大会以前は、いわば障害者が社会で隠されているような状態だったが、パラリンピックを機にその存在が可視化された。以降、障害者スポーツの制度が確立されてきたのは、この大会の最大のレガシーといえる。さらに1998年の長野パラリンピック前後には、障害者スポーツを「スポーツ」として見るという新たな捉え方も生まれた。「パラリンピックは、『社会には様々な人々がいる』という当たり前で見過ごしやすい事実に気付く機会でもあります。障害を社会の問題として捉えるという考え方は、まだ十分に定着していません。東京2020パラリンピックによって何らかの変化が生じれば良いと思います。特に、それを大会後にも活かしていくことが重要です」

渡 正(順天堂大学 スポーツ健康科学部 准教授)

順天堂大学スポーツ健康科学部マネジメント学科准教授、渡正氏はこう指摘する。国内では障害者スポーツへの理解は十分とはいえない。例えば、車いすバスケットボールをすると「床が傷つく」という理由で、公共体育館の使用を断られるケースもある。

一方、東京2020パラリンピックでは22競技が行われるが、このうち19競技は脳性麻痺を含む肢体不自由者によるものだ。一部に視覚障害者や知的障害者が参加する競技もあるが、基本的には肢体不自由者を中心とした競技イベントといえる。そこには精神障害者や聴覚障害者は参加しない。

「あまり意識されていないかもしれませんが、パラリンピックはすべての障害者を対象とした大会ではありません。パラリンピックの出場者を障害者の典型像と考えれば、参加していない人達がこぼれ落ちてしまいます。大会は多様性を理解するきっかけとしては大事ですが、これがすべてということではない、ということは心に留めておくべきです」。

「大変さ」を超えた
障害者スポーツの伝え方

パラリンピックをどのように伝えていくか、報道の在り方という点では、メディアも模索を続けている。
「現在は、障害という大変なものを乗り越えてスポーツをしているという形か、通常のトップアスリートとして扱うという形の2つの語り口しかありませんが、もう少し別の伝え方もあると思います」。

例えば、サッカーでは手でボールを扱うことは禁じられており、基本的に足で扱う。このようにルールで身体の使い方が制限されていても、サッカー選手に「足でボールを扱うのは大変ですね」と言う人はあまりいない。しかし、視覚障害者のサッカーは「目が見えないのは大変ですね」と言われるのが普通だ。

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