ユニークな紙製品で躍進 町の印刷会社のビジネスデザイン

2006年にデザイン主導のプロジェクトをスタートさせた福永紙工。紙の可能性を追求し、多数のデザイナーと協働しヒット製品をうみだしている。事業立ち上げの経緯から、経営のスタイルについて、山田明良社長に聞いた。

文・矢島進二 日本デザイン振興会

山田 明良(福永紙工代表取締役社長)

「空気の器」「テラダモケイ」といった名前は知らなくても、写真を見ると「知っている」とほとんどの人が言うほど全国的に有名になったのが、東京都立川市の町工場、福永紙工によるオリジナル紙製品だ。

二代目社長の山田明良氏は、愛知県で洋服と音楽、そしてデザインが大好きな10代を過ごし、アパレル会社に就職する。いわゆる小さな『マンションメーカー』で、フランスの服を全国のセレクトショップへ卸す業務などに従事。クリエイティブに興味を持つ山田氏は、カタログやDMなどの制作をデザイナーと共同することもあった。

事業承継をデザインする

職場結婚した山田氏は、奥様の父親が創業した福永紙工に1993年に転職。同社は1963年に創業し、名刺やはがき、封筒などの印刷だけでなく、打抜きや貼り加工まで一貫して行っていた。

元来クリエイティブ好きな山田氏は新事業を構想していたところに、近所に住むデザインディレクターの萩原修氏と出会い、グラフィックデザイナーの三星安澄氏とともに、「かみの工作所」と現在も呼ぶプロジェクトを2006年に立ち上げる。

大日本印刷とリビングデザインセンターOZONEに勤務してきた萩原氏の経験とネットワークを活かし、様々なジャンルのデザイナーに工場をみてもらい、紙や印刷設備が持つ可能性をテーマに試作品を作成してもらう。そしてお披露目を展示会形式で行ったところ、予想を超える評判となった。

そして山田氏は2007年に社長に就任し、本格的な展開を始める。2010年にはトラフ建築設計事務所と協働した「空気の器」を発表、翌2011年には寺田尚樹氏の「テラダモケイ」を発足。今でこそ、どちらも同社の代表作であるが、当初から販売が順調だったわけではなかった。「トラフさんも今のように著名ではなかったので、一緒に地方店に営業に回っていました」と、山田氏は当時を懐かしく振り返る。

コンセプトづくりや開発は、山田氏がデザイナーとともに担うが、販売に関しては奥様(常務)が陣頭に立つ。全国の百貨店や専門店、ミュージアムショップなどへの流通面は、アパレル時代に培ったノウハウを活かしている。また近年は輸出にも力を入れ、既に20カ国以上に輸出している。

1枚の円形の紙が器状に形を変える「空気の器」。4月10日より21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3にて展示販売

100分の1サイズの紙の模型「テラダモケイ」。現在86種だが100種を目指すという

全文をご覧いただくには有料プランへのご登録が必要です。

  • 記事本文残り59%

月刊「事業構想」購読会員登録で
全てご覧いただくことができます。
今すぐ無料トライアルに登録しよう!

初月無料トライアル!

  • 雑誌「月刊事業構想」を送料無料でお届け
  • バックナンバー含む、オリジナル記事9,000本以上が読み放題
  • フォーラム・セミナーなどイベントに優先的にご招待

※無料体験後は自動的に有料購読に移行します。無料期間内に解約しても解約金は発生しません。