災害の知識や教訓を紙芝居で伝える

この紙芝居は、稲村の火に関連して、過去に作成された多くのストーリーをもとに、単に1854年の安政南海沖地震の記録にとどめず、津波の一般的常識を盛り込みながら、2004年度に内閣府防災担当の責任のもとに監修されたもの。
*内閣府政策統括官(防災担当)ホームページより

 

監修/内閣府(防災担当) 編集・発行/(財)都市防災研究所 脚本/桜井信夫 画/藤本四郎「尋常用小学副読本第十」(1937年)の中の作品「稲むらの火」をもとに戦前版教育紙芝居「稲むらの火」として作成された。原作は、小泉八雲の「生ける神(A Living God)」という小文。

1854年12月24日(安政元年11月5日)夜、安政南海地震の高さ約5メートルの津波が紀伊国廣村(現・和歌山県有田郡広川町)を襲った。そのとき、村の郷士濱口梧陵(当時35歳/醤油醸造業を営む濱口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)当主七代目濱口儀兵衛)は、闇の中で逃げ遅れていた村民を「稲むら」に火を放って高台にある広八幡神社の境内に導き、多くの命を救った。その後、また来るであろう大津波に備え、巨額の私財を投じ、海岸線に高さ約5メートル、全長600メートルの当時では最大級の防波堤(廣村堤防)を築いた。堤防は、強度を高めるために海側に大量の松を移植。約4年にわたる大工事は、津波で荒廃した村から村民が離散するのを防ぐためのものでもあった。

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