地雷のない世界へ 命を賭した技術者の挑戦

人道支援目的の地雷除去機で、世界トップシェアを誇る日建。同社の雨宮会長は、「技術者は常に挑戦者でなければならない」と語り、後に続く若者たちに、自らの背中を見せ続ける。

地雷は、その上を人が通ると爆発する「対人地雷」と、戦車などの破壊を目的とする「対戦車地雷」に分けられる。日建の対人地雷除去機は、油圧ショベル先端部分にアタッチメントを取り付け、カッターによって地雷を爆破・粉砕する

サウジアラビアとイランが国交を断絶し、北朝鮮が水爆実験に成功したと発表。2016年は穏やかでないニュースから始まった。

戦後70年。見事な復興を遂げた日本は、「平和であること」が「当たり前」になった。だが、海の向こうでは戦争やその爪痕に苦しんでいる人が大勢いる。地雷は世界中に1億個以上残され、犠牲者のほとんどは民間人だ。

20余年前、当時47歳の雨宮清氏(日建会長)は、カンボジアで地雷の被害を受けた老婆に遭遇した。「助けてください......」。悲痛な訴えと衝撃的な現実が、壮年エンジニアを揺さぶった。

「見て見ぬふりはできない。どうしたら、我々が人助けをできるだろうかだけを考えた。相手は爆弾。知識もなかったけどね」

挑戦はゼロから始まった。

雨宮 清(あめみや・きよし)日建 代表取締役会長

参加する社員に求めた「覚悟」

雨宮氏は15歳のときに東京へ出て、建設機材の修理工として下積みを開始。1970年、23歳で山梨に戻ると同時に独立。油圧ショベルをはじめ建設機材を販売する「峡東車両工業所」(現・日建)を立ち上げた。1980年代になると事業は軌道に乗り、建機の海外販売を始める。

1994年、さらなる取引国拡大のためカンボジアを訪れた。そこで目にする光景は、日本と明らかに“違う”。

「内戦が終結し、人々がタイの国境から故郷であるバッタンバン州へ帰ろうとしても、開墾しようとすると、地雷に触れて手足を失ったり亡くなったりする状況でした。そのような状況なので、プノンペンに逃れる人々が絶えなかった。しかしそこでも、食べ物がなく、生活を得るために物乞いをするという負の連鎖がはびこる......」

戦争と地雷で、生活を奪われている人々がいる現実。

「どうにかして人助けをしたい」

困った人がいたら助けるという信条と、建機を扱う会社の経営者という立場から思いついたのが地雷除去機の開発だ。帰国早々、社員に思いを伝えると、共感した者たちで対人地雷除去機開発プロジェクトチームを結成した。

「自分を含めて7名。プロジェクトに関わる者には、命がけの開発になるからきちんと家族と相談するように指示しました」

開発の過程では、地雷原にも足を踏み入れなければならない。

「『俺から10m離れて、俺の足跡を踏んでついてこい』。チームメンバーにはこう伝えていました。そうすれば、もし私が地雷の被害にあったとしても、メンバーは巻き込まれないで済む」

長期滞在したカンボジア国でマラリアにかかったこともあれば、食料が手に入らないこともあったという。

「人を助けるためには、命をかける必要がある」

寝食も忘れ、対人地雷除去機開発に力を注ぐ。7名で始まった開発。大変だったことを挙げるとキリがないと振り返る。

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