老舗出版社代表は「元日本代表」 教育と日本の未来を描く

新型コロナウイルス感染症の流行で、学生スポーツの大会が軒並み中止を余儀なくされた。卒業後も活躍を夢見る生徒や、迎える大学などのチーム側も絶望する中、いち早く動いたのが「#ラグビーを止めるな2020」。その立役者が元・ラグビー日本代表の野澤武史だ。彼の活動は今も止まらない。コロナ禍を負ではなく、新たな道を切り拓く契機に変え進化し続ける。

文・油井なおみ

 

野澤 武史(山川出版社代表取締役社長、スポーツを止めるな代表理事)

学生ラグビーのスター選手から
長いスランプへの転落

ラグビー選手として、高校、大学ではキャプテンを務め、21歳という若さで日本代表入り。強豪チーム、神戸製鋼に鳴り物入りで入社した。現役引退後は母校の慶應大学でコーチをし、スーパーラグビーなどの試合のテレビ放送では解説者を務めながら、家業である山川出版社の代表取締役社長として手腕を揮う。と同時に、学生スポーツを支える団体のリーダーとして、全国を駆け巡る――。

そんな肩書を聞けば、順風満帆にというより、一足飛びに成功を納めてきたように見える野澤だが、意外にも、日本代表となった21歳から36歳になるまでの長きに渡り、スランプに苦しめられていたという。

「21歳でひざを、22歳で首を故障したんです。肉体的ダメージはもちろん、精神的にも恐怖心が出るようになって、自分の得意分野だった人とぶつかり合うようなパフォーマンスを上げていくのが難しくなってしまったんです」

慶應の学生時代は、1年生からレギュラーで向かうところ敵なし。高校・大学とキャプテンを務め、高校では花園を、大学選手権では優勝も経験し、スタープレイヤーとして活躍。荷物運びや雑用など、いわゆる下積み的なことは経験しないまま、社会人の強豪チーム入りを果たしていた。

「そういう経験から成長できる部分もあるのに、僕はそこをすっ飛ばして大人になってしまったんです。試合で貢献できないのは辛かったですが、神戸製鋼というチームが好きで、神戸という街にも愛着があったので、何とか役に立ちたいという思いはありました。腐らず、積極的に声かけをするなど、できることで貢献しようと考えました」

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