近代五種の国内トップ選手 「最後の挑戦」東京五輪への熱き想い
近代五種という競技をご存じだろうか。日本ではまだ認知度が低いが、古代オリンピックで行われたペンタスロンを由来とし、「スポーツの華」と称された競技である。国内トップ選手として、日本の近代五種を牽引しているのが、髙宮なつ美だ。凛として競技に打ち込む姿に秘められた東京五輪への熱き想いに迫る。
文・油井なおみ
陸上、水泳、バスケと地元の
エースとして活躍した学生時代
フェンシング2種、水泳、馬術、レーザーラン(射撃とラン)という全く異なる5つの種目を1日で取り組み、競い合うというハードな競技、近代五種。
近代オリンピックの祖、クーベルタン男爵が考案した競技で、1912年開催の第5回ストックホルム五輪から正式競技となっている、歴史の深いスポーツでもある。
それぞれの競技への高い技術力や体力、強い精神力など、幅広い能力が求められるため、「秀でた体力と強い精神力を持ち、自らをコントロールできた選手のみが栄冠に輝く」といわれる過酷な競技。ヨーロッパでは人気が高く、「キング・オブ・スポーツ」とも称されている。
5種あるため、選手によってそれぞれに大なり小なり得手不得手があるだけではなく、馬術の馬は抽選で割り当てられる。実力はもちろんだが、タイミングや馬との相性など運によるものもあり、試合の行方は、最後までまったく読むことができない。そこが見どころでもある。
髙宮は、2012年に競技をはじめてから、わずか4年足らずでリオ五輪に出場。以来、日本の近代五種を牽引する選手として活躍している。
幼いころから体を動かすことが好きだったという髙宮。とにかく活発な子どもだったという。
「3歳から水泳をはじめて、小学校に進学すると同時に、選手コースに上がりました。走るのも得意で、市内の陸上大会では優勝していました。でも練習は相当厳しかったですね。中学では、水泳でも陸上でもないスポーツをやりたいと思って、バスケ部に入部したんです」
入部の理由は、「楽しそうだったから」。とはいえ、自ら「できるようになるまでとことん練習するタイプ」という髙宮は、帰宅後もずっとバスケットボールに触るなど、部員の中でだれよりも練習に熱中した。そして、すぐレギュラーとなり、試合で活躍。
その一方で、夏には水泳部に呼ばれて大会に出場し、冬は駅伝メンバーとなるなど、当時から八面六臂の活躍をしていたという。
「バスケですぐレギュラーになれたのは先輩が少なかったからです。でもあの頃、いろいろなことに挑戦できた経験が今に繋がっているのかなと思いますね」
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