成功のカギを拾うため 常に広い視野であれ

この約8年間、男子卓球界をけん引してきた水谷隼が目指すのは、さらに上の力。しかし、日本の男子卓球界において、彼の右に並ぶ実力の選手はいなかった。強者は常に彼ひとり。ほかの選手は彼に追随する形であった。ゆえに、彼がさらに強くなるための方法は、自ら探りあてていくほかなかった。
文・小島 沙穂 Playce

 

水谷 隼(みずたに・じゅん)男子卓球選手

今から10年ほど前。2006~2007年頃は、日本の男子卓球界の不毛の時代である。当時の日本の男子卓球は非常に弱く、世界大会ではほとんど結果を出せていなかった。2007年の団体戦は13位。ワーストタイと不名誉な記録であった。

しかし、翌年2008年の世界選手権で、日本はなんとチームランキング3位にまで踊り出た。その後、4大会連続銅メダルを取得した。それまでとは打って変わって大躍進を遂げたと言えよう。その立役者とも言うべき存在であり、今も強者として君臨し続ける選手が、水谷隼である。

彼が全日本選手権で優勝し、日本のトップに立ったのが2007年の17歳の時。その後5年、水谷は国内王者であり続けた。2度王座を明け渡したものの、この9年で7回の全日本選手権優勝を果たし、2016年1月の同大会では、歴代記録タイとなる8回目の優勝を狙っている。

自分より強い選手がいない王者の苦悩

「今、日本国内には、僕より強い選手はいません」

現在の日本の卓球界を見て、水谷は強く言い切った。

今だけではない。17歳で初めて日本の頂点に立った頃からそうだった。水谷をサポートする歴代の監督やコーチよりも、水谷の実績の方が圧倒的に上だった。それゆえに、指導者たちは水谷の戦法や技術練習にあまり口を挟まず、本人のしたいようにさせることが多かった。フォームの改善やメカニズム的な指導を受けることはあれども、技術的なアドバイスを受けることは少なかった。

「周りに自分より技術的に優れた人がいない環境の中、僕はさらに強くならないといけません。どうすればもっと卓球がうまくなれるのか、答えを教えてくれる人がほとんどいなかったので、自分自身で方法を考え、見つけ出す必要がありました。何をすれば強くなれるのか見えず、迷走したこともありました。その時期はなかなか結果を残せず、非常に悩みました」

国内に強い対戦相手がいれば、戦いながら相手の技術を吸収することができるのに。お互い高め合うことができるのに。しかし、水谷と同等やそれ以上の選手がおらず、目標設定もうまくいかなかった。強者の孤独とも言うべき悩みである。世界の強豪を相手にすれば、学べるものは多いはずだが、世界中に散らばるライバルと対戦できる機会はそれほど多くはない。

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