日本酒を世界に BBC「100人の女性」に選ばれた杜氏の構想

昨年11月、英国のBBCが選ぶ「今年の100人の女性」に日本人で唯一選ばれた、今田美穂。明治元年から日本酒『富久長(ふくちょう)』を製造する今田酒造本店の5人弟妹の長女として生まれ、一度は東京で就職するも、現在は杜氏であり社長としてその手腕を揮っている。今田がなぜ赤字が続く広島の小さな酒蔵に戻ったのか。そして、酒業界が不況の今、何を思うのか。

文・油井なおみ

 

富久長の作り手たちと、八反草を手にする今田(写真上中央)

混沌とする日本酒業界を俯瞰し
実家の蔵の立て直しを決意

東京の大学を卒業後、伝統芸能の研究団体で数々の文化事業を手掛けるなど、自らの手腕で時代を駆け抜けた今田が期せずして立ち止まることとなったのは33歳の頃。バブル崩壊の煽りを受け、会が活動に終止符を打ったときだった。

「新たなキャリアをスタートするにはギリギリの年齢。覚悟を決めて道を選ばなければと思いました」

その頃、日本酒業界も大きな変革期を迎えていた。1989年に日本酒の等級から特級がなくなり、'92年には1級、2級も廃止。代わりに、特定名称酒という新たな品質基準が作られた。

「日本酒業界にとってはよくない時期が続いていて。うちみたいな田舎の小さな蔵は赤字続き。親からは自分が食べられる道を考えるようにと言われていました。私は弟1人、妹3人の一番上で、弟はすでに医者として働いていたし、妹たちも継ぐ気はないようで。父の代で蔵を締めるのかどうかという課題もあったんです」

当時の今田のいちばんの楽しみは、飲み歩きだったという。

「東京を中心に地酒ブームが起きてきた頃で。うちは広島の小さな会社ながら、祖父の代の大正期から東京の下町をマーケットにしてきましたが、東京で客観的に見ていると、どんなお酒がもてはやされ、逆にうちが当時製造していた前時代的な酒は生き残るのが難しいということがよく見えたんです」

小泉内閣による規制緩和で、酒屋以外でも酒が買えるようになり、価格競争が激化した。酒屋が各家庭にビールをケースで配達するという光景は消え、町の酒屋もコンビニエンスストアに業態を替えるなど変化を余儀なくされた。

「大手メーカーさんと同じ流通に乗ったままでは淘汰されると思いました。東京で吟醸酒ブームを起こしたような酒屋さんたちにダイレクトで取り扱ってもらえるおいしい酒を造らなければ厳しいと。あの時あの状況で、蔵に戻って酒造りをしないという選択肢は考えられなかったですね」

うまい日本酒を世に出すため
厳しい条件下で作るこだわりの酒米

とはいえ、酒蔵といえば、伝統を重んじ、女人禁制のイメージが強い。1986年に男女雇用機会均等法が施行されたとはいえ、27年前当時はまだ"均等"とは言い難い状況だった。

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