地域ブランド向上に尽力したふくやから学ぶ、新規事業成功の秘訣
福岡・博多の定番お土産で、食卓にも当たり前に出てくる辛子明太子。戦後、福岡・博多で苦労の末、生み出されたものである。その市場形成の過程は、新規事業成功の秘訣を教えてくれる。ふくやの川原武浩社長に、同社の辛子明太子の開発経緯を聞いた。
終戦後の闇市からスタート
売れるまで10年の歳月
ふくやの歴史は1948年に食料品店「ふくや」を開業したことから始まる。創業者は川原武浩社長の祖父母、川原夫妻。祖父である俊夫氏の本籍地は福岡県朝倉郡で、釜山で生まれ育った。家業は食料品・雑貨小売の「冨久屋」を営んでいた。この「冨久屋」が現在の「ふくや」の社名の由来となる。
俊夫氏は満州電業へ入社後、経理を担当、戦時中期になると従業員の生活必需品調達役も担っており評判は上々であったそうだ。その頃同じ釜山育ちの千鶴子氏と結婚。1944年に俊夫氏は戦時招集を受け陸軍少尉として沖縄方面へと派遣され、戦後復員。
「一度戦争で死んだ身、こうして生きながらえている以上何かの形で世の中のためになる生き方をせにゃならん」と自身で起業することを決意した。
最初は闇市からスタートし、後に「ふくや」として福岡市の中洲市場に開業。当初、舶来品の缶詰等、珍しい商品も取り扱っていたが、ふくやオリジナル商品を作ろうと1949年、韓国での日常食の味を再現して辛子明太子の製造販売を開始した。しかし当時の日本では、たらこは塩辛いものであり、生ではなく焼いて食べていたため、全く受け入れられず、販売開始後4年経っても店の隅においてある程度でほとんど売れていなかった。それでも川原夫妻はあきらめずに、顧客の声を聞いては味の改良を続けたのであった。
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