史上最年少で三ツ星シェフ 東京の仏料理を確立、食の未来を守る

2007年、欧米版以外で初めて発行され話題となった『ミシュランガイド東京』。フランス料理店『カンテサンス』はその第一号から最新の2020年版まで三ツ星を獲得し続けている。2007年当時、シェフである岸田周三は33歳。現役最年少の三ツ星シェフとして時代の寵児となり、以降、飲食業界を担うトップとして、日本の食文化が抱える問題を打破すべく、業界を牽引し続ける。

文・油井なおみ

 

岸田 周三(レストラン『カンテサンス』オーナー)

フレンチの正統な後継者として
東京で日本の文化を表現する

両親共働き、男ばかりの3人兄弟の末っ子として育った岸田。仕事に追われながらも、日々おいしい食事を作ってくれる母を手伝った経験がこの道ヘ進んだ原点だ。何を作ってもいつも喜んでくれ、誉めてくれた母。岸田の小学校の卒業文集にはすでに「将来の夢・料理人」と書かれている。

料理の専門学校を卒業し、日本の名店で腕を磨いた岸田だが、さらなる高みを目指し、本物を追求すべく、2000年に26歳で単身、フランスに乗り込んだ。

「当時はパソコンも普及してなくて、自分は触ったこともなかった頃です。いろんなフランス料理の有名店に何通も手紙を出しましたが、1通も返事はなかったですね。でも、僕は自分の将来の年表を作っていて、そこには26歳で渡仏、30歳で料理長になる、と書いていたんです。これを実現させるためには、どうしても25、26歳でフランスに行かないと間に合わなくなりますから」

岸田が社会人となって作った自分自身の年表には、1年毎レベルで細かく、達成すべき目標を記載していた。

「料理人だけでなく、社会人になったばかりの頃は誰しもそうだと思うんですが、毎日怒られて、掃除や雑用ばかりで、本当に一人前になれるのかな、と不安になりますよね。小さなゴールを定めて、それが達成できたら、自分の成長を感じることができるじゃないですか。不安に潰されて、自分を見失わない為に、年表を作ったんです」

伝手もなく、住む家も働く店さえ決めず、言葉も不自由なまま単身、渡仏するのは、もちろん不安だった。それでも自分には日本で8年修業した腕がある。技術さえあれば、フランスでも認められるはずだと気持ちを奮い立たせ、フランスへと発ったのだ。

自ら食べ歩き、学びたいと思う店を見つけ、研鑽を重ねてステップアップし、三ツ星レストランでもセンスを磨いた。パリの名店『アストランス』では、まだ一ツ星の頃に研修生として入店し、最後はスーシェフとして三ツ星獲得に貢献した。

「シェフのパスカル・バルボさんは固定概念がない自由な方。フランス料理にアジアの食材や醤油、味噌も使う人で、独創的なんです。古典的なフランス料理しか見ていなかった自分にとっては驚きでした。日本は島国ですが、ヨーロッパは陸続きですよね。純フランス人という人は少数ですし、国境は時代によって変化する。彼は、国境線が変わったらフランス料理がドイツ料理になるのか、というんです。フランス料理に固定概念はない。『俺が作った俺の料理なんだ』と。日本料理は、技術などでクオリティは向上していますが、すしや天ぷらなど、メニュー自体はそのままの形で守る文化。一方でフレンチは変化することに恐れがないんです。フランスで、料理って自由なんだ、と気づかされました」

とはいえ、今の本場のフランス料理は自由過ぎて後退した側面も否めない。

「おいしさの格は絶対に落とせないので、僕はフランス料理全盛期の頃の質を大切にし、そこに自分なりの工夫を加えておいしさを追求しています。実際、フランス人が作るものよりフランス料理らしいと思いますよ。イノベーションは常に起こしていますが、あくまで古典フランス料理の進化の延長上から外れたことはしませんから」

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