『カメ止め』上田監督 重圧も喜劇に変える才能のルーツ

2018年、日本映画界を席巻した作品といえば、間違いなく『カメラを止めるな!』だ。制作費300万円。監督も俳優も無名のインディーズ作品が興行収入30億円を超える大ヒット作となり、国内外の映画賞を数々受賞した。この作品で一躍、時代の寵児となった上田慎一郎監督。彼の才能のルーツと今月公開となる劇場用長編第2弾『スペシャルアクターズ』の誕生までに迫る。

文・油井なおみ

 

上田 慎一郎(映画監督)

才能を認められながら模索して
近道と遠回りを繰り返した日々

上田慎一郎が生まれ育ったのは、滋賀県長浜市にある人口1万人にも満たない小さな町。映画館のある街に出るには1時間はかかる場所だ。

「中学の頃、友達の家の本棚いっぱいにビデオテープが並んでいたんです。彼のお父さんがテレビで放送された映画を録画して集めていたんですよね。それを片っ端から観ました。そのうちに、家にあるビデオカメラで友達とコントみたいなものを撮るようになって。高校では毎年文化祭で自分が脚本、監督した映画を上映していました」

高1で30分、高2で60分、高3では120分の作品を上映し、その作品を観た演劇部の顧問に薦められ、舞台も経験。自ら、作・監督・主演を務めた作品が近畿2位に輝き、大学からもスカウトが来た。

「当時は生意気で。ハリウッドを目指すと言って、大学は断ったんです」

ハリウッド行きの準備として、上田は大阪にある英語の専門学校に入学。才能を評価され前途洋々、となるはずが、学校生活に馴染めず、2か月で退学。フリーターになるが詐欺に合い、ヒッチハイクで東京へ。下北沢の風呂ナシ、トイレ共同のボロアパートで、新生活をスタートさせた。

「20歳までは自主映画を何本も撮り続けましたが、そこから25歳まではまったく撮らなくなったんです。映画監督になるために近道しようとして、遠回りしていた時期ですね」

マルチ商法に足を突っ込み200万円の借金を背負い、ホームレスに。さらに共同出版という形で小説を出して再び200万円の借金。渋谷のハチ公前で自作のポストカードを売っていた時期もある。

「資金作りプラス、小説家で有名になってから映画は撮ればいい、なんて考えていたんです。他の人とは違う方法で映画監督になろうとしていて。今思うと、映画を作ってうまくいかなかったら才能がないとバレてしまう。そんな恐怖もあったんですよね。でも25歳になったとき、映画監督になるために東京に来たのに、自分は何をしているんだと我に返って。改めて、きちんと映画を撮ろうと決意したんです」

上田は再び積極的に動き始めた。自主映画団体に入って映画を一から学び直し、さらに自分の映画製作団体『PANPOCOPINA』(2019年に株式会社として法人化)を結成。数々の短中編の作品を制作し、国内外の映画祭で46にも及ぶ賞を受賞してきた。

そして2018年、上田初の劇場長編作品『カメラを止めるな!』が前代未聞の大ヒットになったのは周知のとおり。単館で6日間のイベント上映の予定が、瞬く間に全国350を超える劇場で上映。日本中の劇場を席巻した。

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