「イラストレーター」の枠を超える 活躍の場はテレビ、そして街へ

横浜銀行の顔である『はまペン』など、各種広告のイラストやキャラクターデザインをはじめ、NHK Eテレ「みいつけた!」では、アートディレクションなどで総合的に番組作りに関わる大塚いちお。故郷である新潟県上越市の町おこしにも取り組むその幅広い活躍は、我々が想像する"イラストレーター"という肩書の枠を遥かに超えていく。

文・油井なおみ

 

大塚が手に持つのはオリジナルキャラクターの『ウェルモ』。スポンサーもクライアントもついてない。ライフワークとして、純粋に自分も楽しめる方向で地域創生などに働きかけている

夢を現実にし模索したプロの
イラストレーターとしての個性

幼い頃から絵が好きで、写生大会などがある度、賞を獲る子どもだった。"絵を描く仕事に就きたい"という夢を描いて育ってきた大塚いちおは、中高生になり、現実として進路を見据えたとき、「漫画家や絵描きは自分には難しそうだ」と考えたという。

「新潟県の上越市に暮らしていて、今みたいに情報もない時代で。地元から美大に行く人なんて聞いたこともなく、考えもしませんでした。ただその頃ちょうどデザインやイラストレーションの分野が注目されてきた時代で、絵で食べるのは難しくても、グラフィックデザイナーなら、専門学校で2年学んで、最初の10年、寝ずに頑張れば一人前になれるんじゃないか、と思ったんです。父が大工だからか、叩き上げの発想ですよね(笑)。デザインをやっていれば、自分の絵も活かせるんじゃないか。そう思ったんです」

1980年代半ば。大塚は高校を卒業後、東京での生活をスタートさせた。

「田舎でアートの話をしたら、"変わった人"という時代でしたが(笑)、同級生とリアルタイムのアートの話ができて。本当に楽しかったですね」

そして当初の予定通り、グラフィックデザインの事務所に就職が決定。社会への第一歩を踏み出そうとしたその直前、「突然、雷に打たれたように」絵への情熱に突き動かされたという。

「俺は本当は絵が描きたいんじゃないのか! と思いが溢れてきて、就職を蹴っちゃったんです。もちろん、両親は大反対。でも、イラストレーターとして華々しく活躍する先輩方を見て、自分も好きなイラストを描いて生きたい。そんな思いに駆られたんです」

アルバイトをしながら、地道に作品を制作し、まずはデザイン事務所や出版社のデザイン室などに就職した同級生たちを頼りに、できる限り多くの人に作品を見せに回った。

「大きなコンペで賞を獲って、20代前半でスターになった人たちが周りに結構いたんですよね。残念ながら、僕はそうではなかった。いろんな人からのアドバイスを真摯に受け止めたり、ときには受け流したりしながら、ひたすら"自分はどういうことをすれば仕事につながるんだろう"ということを考え続けていました」

大塚自身、プロのイラストレーターへの登竜門と言われる「ザ・チョイス」(季刊誌『イラストレーション』玄光社主催)で入賞を果たしている。しかし、そこから仕事が急増するということはなかった。もっと人を惹きつける、独自のタッチや表現方法はないのかと、模索し続けたという。

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