假屋崎省吾氏が語る「発想の原点」 事業家として経済効果も意識
国賓をもてなす場の花のプロデュースから各地での個展開催、フラワースクールの主宰など、華道家としての活動に加え、テレビ出演、執筆、着物のプロデュースなど幅広く活躍する假屋崎省吾氏。そのアイデアとクリエイターとしての発想の原点を二回にわたって紹介する。
今年12月で還暦を迎える今も多忙な毎日を送る假屋崎省吾氏。
「今日は、朝いちばんで茨城県笠間市で開催している個展に行って3時間ほどサイン会をしました。最近は子供たちに『カーリー』と声をかけられています。そのあと東京に戻って18年間レギュラー出演しているTBSテレビ「金スマ」の収録があり、家に戻るともう夜中です。やりたいことがたくさんあって、毎日スケジュールが埋まっています」と楽しそうに語る。
美しいことに興味をもつ少年
假屋崎氏は東京・中央区役所で公務員として勤めていた父親と、銀座でOLをしていた母親のもとに生まれ、東京・石神井の質素な長屋で育った。
「両親は、借家住まいで貯金は全くせず、旅行に行ったり、おいしいものを食べたり、音楽を聴いたりすることに惜しみなくお金をつぎ込むような人でした。子供にも好きなことをやりなさい、と5歳の頃からバイオリンの先生が出稽古で家に来て習わせてもらっていました。その後ピアノを習い始めましたが、親は躊躇なく4畳半の狭い部屋にピアノを用意してくれました」
「母は美しいものが好きで、クラシックの音楽のレコードを月4~5枚買って一緒聴いたりしていました。私は内気で、男の子が興味をもつようなヒーローもののアニメや野球には一切興味がありませんでした。そのかわり、両親の共通の趣味であった園芸に興味をもって、花の種の通販カタログを見て注文して、きれいな花を育てるのが楽しみな子供でした」
生け花との出会い
「大学2年生の時にテレビでいけばなの番組をみて興味をもち、いくつかのいけばな教室に問い合わせをして習い始めました。男性の生徒だけの教室に通い始め、2回目に当時の家元に直接指導を受ける機会がありました。教科書でまだ習っていない内容を思い切ってやってみたところ、家元に『構成力があって面白い』と褒められました。それで俄然興味をもち、いけばなだけにとどまらず、銀座や神田の画廊を回ってさまざまな芸術の空間構成などに触れて、自分でも個展を開きたいと思うようになりました」
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