朝原宣治 46歳の挑戦、「現役復帰」で狙う金メダル
2008年、北京五輪の男子4×100mリレーで、日本は実に80年ぶりの快挙となる銅メダルを見事獲得。当時、36歳の朝原宣治がそのアンカーを務め、日本中を熱くさせた。現役引退から10年。朝原は今、陸上界はもちろん、スポーツ界全体を牽引しながら、2020年東京五輪のジュニア育成にかかわるほか、一般へのスポーツの浸透や地域創生に力を注ぐ。
文・油井なおみ
現役を長く続けられたからこそ
気づいた世界と日本の現状
高校時代から走り幅跳びで注目されていた大学生が1993年、国体の100m競技に出場。いきなり日本記録を叩き出した。その鮮烈な優勝は日本中の注目を集め、以来、次々と日本記録が塗り替えられていった――。その選手こそ、朝原宣治だ。
恵まれた身体能力だけでなく、当時には珍しく、アメリカやドイツなど海外へも指導を求め、自らを磨き上げた。
そうして、36歳までトップアスリートとして現役を貫いた姿は、見ている者に感動を与えてくれた。
脇目もふらず、ストイックに走りを追求していた朝原だが、実は現役当時から積極的に地域創生や人材育成などにも携わり、アスリートとしての"今"だけでなく、"その先"の部分まで見据えていたという。
「人より現役が長かったので、精神的に余裕があったんですよね。それに僕は海外での遠征も多く、留学の経験もあったので、20代後半にもなると、海外と日本の違いや競技以外のことも見えてくるようになったんです」
海外では、大きなグランプリの前日にアスリートが子どもたちに教えるイベントが開催されることが多い。
「ただ試合を見せるだけでなく、常にファンや子どもたちとの交流を持つことで、社会貢献をすると同時に、スポーツを市民の生活に根付かせて、競技を成り立たせているんです。日本でもそういうことができないかな、と漠然と考えていました」
とくに30歳を超えると、自分自身、あと何年走れるかわからない。次のライフスタイルを真剣に考えるようになっていった。そして2006年、34歳のときに大学院に入り、スポーツ社会学を学び始めたのだった。
「大阪ガスの社員でもあったので、企業スポーツという枠の中で何かできないかと考えていたんです」
現役時代の後半ごろから、自治体などに招かれ、地域の中高生に指導するイベントなどにも参加していた朝原にはある思いがあった。
「子どもたちが喜んで帰ってくれるのはいいのですが、結局イベントはその日限り。継続してイベントを続けたり、子どもたちを指導すべきではと思うようになっていたんです」
その頃よく思い出したのが、留学していたドイツの地域総合型のスポーツクラブだったという。
「入会の年齢に制限がなく、小さい子からお年寄りまで正に『ゆりかごから墓場まで』会員がいるんです。その上部組織には、サッカーでいうとブンデスリーガのようなプロのチームがあって、大所帯ながら組織としてもしっかり成立しているんです。僕も留学中は住んでいる地域のクラブ会員になって、地域の靴屋さんのロゴの入ったユニフォームを着て走りました」
ヨーロッパでは地域のクラブチーム文化が根付いている。とくにドイツの地域総合型のスポーツクラブチームには100年の歴史があり、世界中からお手本にされ、注目されている。国や地域、地元企業からの助成などがしっかりとあるため、地域住民は安い会費で会員を続けられ、また、チームのウェアなども支給されるので、地域のチーム愛を育むことにもつながっている。
「地域のおじいちゃんもおばあちゃんもユニフォームを着て、クラブハウスに飲みに来たり、チームの応援をしに集まってきます。生涯スポーツを続けられるだけでなく、地域のコミュニケーションの場を創生しているんです。当時、日本ではまだJリーグもなかったので、面白い仕組みだな、と興味を持ちました。日本って"部活文化"で、子どもの場合、部活動くらいしかスポーツをする場がないんです。そうすると、スポーツって"やるかやらないか"の2択。部活に入っていても、レギュラーじゃないと体を動かせなかったりして、スポーツが得意な人でないと継続が難しいんですよね。もっと気軽に誰でもが体を動かせ、それを続けられる場を作りたいと思いました」
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