Jリーガーから転身、車椅子バスケ日本代表に 道をひらく力

パラリンピックでもっとも人気の高い種目といわれる、車椅子バスケットボール。今ではパラスポーツという概念を超えて、一般のスポーツとして広がりを見せている。日本でのその人気の立役者の一人といえば、京谷和幸の名が挙げられるだろう。4大会に出場したパラリンピアンであり、「元・Jリーガー」という肩書きも背負い活動している。

文・油井なおみ

 

京谷 和幸(車椅子バスケットボール男子日本代表アシスタントコーチ)

サッカー選手として
夢を現実にしていた矢先の事故

子どものころからサッカーで頭角を現し、全国高校サッカー選手権では最優秀選手に選出。京谷は、高校生にしてバルセロナオリンピック代表候補となるサッカーの天才少年だった。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が設立された1991年には、ジェフ市原(現・ジェフ千葉)と契約し、プロサッカー選手としてデビュー。日本ユース代表などのチームも掛け持ちし、誰もがその活躍に期待を寄せていた。

「自分よりうまいやつはいないと思っていました。誰よりも練習しているという自負もありましたし、会社からも"10年に一人の逸材"と言われ調子に乗っていたんです。先輩にも失礼な態度を取るような傲慢な選手でした」

プライベートでは、ようやく射止めた最愛の人との結婚が決まり、人生は順風満帆に進むように見えていた。

ところが、1993年、Jリーグ開幕直前の海外キャンプ中に負傷。トップチームから離脱し、焦りばかりが募った。そんなときに起きたのが、自ら運転する車での事故。「命があるのが奇跡」といわれた大事故だったが、ひどい外傷がなかったため、京谷はすぐに退院して復帰するつもりでいた。

「手術後間もなく、彼女が"すぐ入籍しよう"と言ったんです。そんなに焦らなくてもと言いましたが、彼女が聞かなくて。式が延期になった申し訳なさもあったので望むようにしました」

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