地域の子育て支援 厚労省ガイドライン案策定の意味

自治体首長が掲げる重点政策で、子育て支援を挙げるケースがほとんどだ。その具体策の一つとして、産後ケア事業が注目される今、ガイドラインの意味はどこにあるのだろうか。厚労省のガイドライン案を取りまとめた、林謙治博士(国立保健医療科学院名誉院長)に伺った。

産後ケア事業ガイドライン
策定の背景

厚生労働省の「産後ケア事業 ガイドライン」が間もなく発表される見込みだ。産後ケア事業には、出産をした母親の心身のケアや乳幼児の健康管理、育児相談などが含まれる。実施主体は市町村で、負担割合は国と市町村で2分の1ずつだ。政府は、2016年に160の市町村で行ったモデル事業を、2017年度には、前年の1.5倍の240市町村に拡大するという力の入れようだ。子育て支援策として有効だと言われる産後ケアだが、その重要性はどこにあるのか。また、なぜ今、ガイドラインが策定されているのだろうか。

林 謙治(国立保健医療科学院 名誉院長)

現代の子育ては
3つの"ない"状態

ガイドライン案を取りまとめた林謙治博士は次のように説明した。「出産後、女性はホルモンバランスが乱れ、身体的、精神的に不安定な状況に陥りやすくなります。重ねて、核家族化や女性の社会進出で、子育ての環境は厳しさを増しています。そうした中で、さまざまな問題が顕在化しています」。

核家族化が進み、育児経験が伝承されることがなくなり、経験もないまま子育てをしなければならない状況が生まれている。子育てを支援してくれる人が周りにいない。また、女性の社会進出が奨励され、夫婦共働きの家庭も増えた。昨今は男性が育児休暇を取れるようになってきたとは言え、実際は、まだまだ母親が育児の大部分を負担しているというのが現状だ。

林氏は、「現代の子育てには、時間がない、経験がない、知識が足りないという、3つの"ない"が根底にある」と言う。

自分で育児のノウハウの情報を取得して、その通りにやってみても、赤ん坊はマニュアル通りに反応してくれないのが常だ。しかし、適切なアドバイスをしてくれる人もいなければ、経験もないために不安は増大し、さらにホルモンバランスの乱れから、「こんなはずではなかった」と精神的に追い詰められ、マタニティーブルーに陥る母親も少なくない。さらに症状が進めば、産後鬱を発症し、最悪の場合、自殺するケースもあるという。その一方で、苦しい気持ちの矛先が、生まれたばかりのわが子に向かい、乳幼児虐待や虐待死を発生させるリスクが大きい。

産後ケア事業は、こうした悲惨な状況を防ぎ、若い母親でも、シングルマザーでも、どのような状況の女性でも、みんなが安心して子どもを産み育てることができる社会環境を整える事業なのだ(図)。

新たな地域包括ケアシステムの姿

出典:編集部作成

 

少子化対策という意味では、厚労省だけでなく、内閣府からも子育て世代をサポートする仕組みを作る必要があるという意見が出て、政策として具体化され、2016年にモデル事業がスタートしたのである。

「モデル事業を実施した結果、明らかになったのが、市区町村の捉え方に温度差があることでした。マネジメント力、予算、マンパワーなどは、市区町村によって格差がありますし、首長がこうした事業に対してどの程度意味を見出しているかによっても、事業の充実度にばらつきが出ます」(林氏)。

どの市区町村に住んでいても、安心して出産や育児ができるようなサポート体制を築くため、どういったサポートを誰がどのように行うのか、事業内容のスタンダードを定義し、内容の最低ラインなどを決めたガイドライン案をまとめたのである。

ガイドライン案では、産後ケアは、出産後の母親の身体的回復と心理的安定を目的としているため、出産直後から4ヶ月頃までの時期を対象の目安としている。事業の種類としては、アウトリーチ型、デイサービス型、宿泊型の3種類の実施方法を示している。

アウトリーチ型は、助産師や看護師、保健師などが、利用者の居宅を訪問して保健指導やケアを行う事業だ。デイサービス型は、病院や助産院、保健センターなどに複数の利用者を来所させて、育児方法などの相談を行い、不安の軽減を図る。宿泊型は、病院や助産所など、ベッドを有する施設に宿泊させて、母親の身体的・心理的ケアや、育児手技の指導、生活相談などを行う。

宿泊型事業は、産後に家族のサポートを十分に受けられない状況にある人や、不慣れな育児に不安があり、専門職のサポートが必要な人などを、本人からの申請を受け、市区町村が評価した上で利用してもらう。また、妊娠中に、ごく若い母親や、予定していなかった妊娠をしてしまった人、シングルマザーといった、社会的リスクが高い人を洗い出し、産後ケアサポートにつなぐことを推奨している。

「宿泊型事業では、社会的リスクが高い人が優先されることになると思いますが、市区町村に財政的余裕があれば、サービスを受けられる人の条件を緩めればいいと思います」(林氏)。

ガイドライン案では、実施機関や担当者によって産後ケアの内容に相違が生じないように、市区町村でマニュアルを作成し、ケア実施後は、報告書や利用者アンケートによって、事業全体の評価を行い、ケアの内容を確認することが求められている。

台湾の産後ケア施設。病院というよりは、宿泊施設の趣がある 写真:林謙治博士提供

フィンランドや台湾で先行

日本ではこれから本格始動することになる産後ケアだが、海外にはすでに独自の支援策が定着している国もある。そうした海外の事例も参考になる。

「最も注目したのは、フィンランドの子育て支援『ネウボラ』です」と、林氏。"アドバイスの場"を意味するネウボラは、フィンランドのどの自治体にも設置されており、妊娠期から、出産した子どもが就学するまで、母親、父親、兄弟といった、家族全体の心身の健康をサポートする。

機会があって林氏は、台湾の台北市衛生局の行政官との意見交換を行った。台北市では、産後ケアハウスは完全民間事業として運営されており、利用者は費用を全額負担する。平均宿泊日数は20日前後で、費用の平均は日本円で20~30万円程度。けして安くない金額だが、多くの場合、産婦の両親が支払うため、出産した女性の3分の1が産後ケアハウスを利用するほどの人気ぶりだという。

「こうした外国の優れたシステムを参考にして、さまざまな問題を議論しながら、日本の風土になじむ形に進化し、成熟した制度になっていくのだと思います」。

フィンランドの子育て支援『ネウボラ』。ネウボラが果たす役割を映像でわかりやすく説明している
出典:フィンランド大使館ホームページ:http://www.finland.or.jp/public/default.aspx?contentid=332415

宿泊型事業は
工夫次第で大きなチャンス

一方、日本の場合は、モデル事業でアウトリーチ型やデイサービス型を実施する市区町村は多かったが、宿泊型事業は難しいと考えるところが少なくなかった。

「市区町村自体が必ずしも宿泊施設を持っているわけではありませんから、実施するにはどこかに委託する必要があります。また、細かいケアを行うには、マンパワーの問題もあります。自治体は保健師を置いていますが、産後ケアは生活全般に関わるため、保健師だけで対応するのは難しい。こうした問題が、予算の問題とも絡み合って、宿泊型事業は難しいと思われているようです」。

だが、「宿泊型事業は、やりようによっては、自治体にとって大きなチャンスになるはず」と林氏は言う。

例えば、マンパワーの供給源として助産師を活用する。近年、家庭分娩や助産院での分娩は減少しており、独立開業している助産院ではお産を扱っていない所が多い。妊産婦や乳児のケアに関する専門知識を持つ助産師には、マンパワーとして大いに優位性があるはずだ。

産後ケア全般で考えるなら、日常生活のサポートが含まれる。例えば、赤ちゃんを病院に連れて行く間だけ、上の子どもを預かってもらいたいとか、仕事復帰をするので、保育園のお迎えをしてもらいたいというサポートは、助産師でなくても、子育て経験があれば、サポーターになりうるだろう。地域のボランティアやNPOなどを活用する方法もある。

「昨年のモデル事業では、予算は出せるけれど、マンパワーや施設が足りない中野区が、港区の施設に委託して事業を実施しました」。このケースは、地理的に近いからできることではあるが、枠に囚われない発想が課題を解決できること示した事例だった。

宿泊施設については、ガイドライン案では、病院もしくは病床を有する診療所の空きベッドの活用や、入所施設を有する助産院で行うのが適切であると述べられている。全国的に病院経営に苦しんでいる自治体は多い。宿泊型産後ケア事業で空きベッドを有効活用すれば、病院の経営改善に寄与することになるだろう。

「他にもいろんなメリットがあります」と言う林氏は、"産後ケアと連携した院内助産院"の構想を語った。

「日本では今、産婦人科が減少しています。産婦人科では、産科医は正常分娩にも立ち会うため、一定数の産科医を集めなければいけません。それが集められずに、閉鎖に追い込まれているのです」。

林氏が言う"産後ケアと連携した院内助産院"では、産後ケアのために助産師を増員して、正常分娩はすべて助産師に任せて、産科医は異常分娩を担当する。つまり、病院内に正常分娩を扱う助産院を作るという考え方だ。「この流れができれば、産科医は効率的に働くことができるようになり、産科医不足もある程度解消できるはずです。また、妊娠・出産から産後ケアまで、トータルでケアすることが可能になります」。

ケアの費用負担
ふるさと納税も一つの方法

宿泊型産後ケアが定着するうえでハードルになるのが、利用者の費用負担の問題だ。しかし、ふるさと納税を活用することで、本人負担を減らす仕組みができる可能性があるだろう。

例えば、ふるさと納税のメニューに「産後ケア付き里帰り分娩」を加えたり、おじいちゃんやおばあちゃんがふるさと納税をすると、その孫やお母さんのケアに助成されるメニューをつくったり。産後ケア事業は、自治体に高い裁量権が与えられているので、やろうと思えば、いろいろなやり方があるはずだ。

「ふるさと納税を利用すれば、おじいちゃんやおばあちゃんは喜んで納税してくれるでしょう。そうなれば、自治体も、子どもを産んでくれるのはありがたいが、出産祝い金などの支給で財政が圧迫されるのは困るという悩みから解消されるはずです」。

そこで出産して、子どもを育てたいと思わせる地域づくりができれば、住民として定着する人が増える可能性もある。やりようによっては、人もお金も集まる仕組みができる。

「そういう地域づくりを実現するためには、自治体は自分たちが事業者であることを自覚して、実施上の問題点を把握し、そのうえで、インフラや事業の構想を描き、計画に落とし込んでいかねばなりません」。

産後ケア事業を地域活性化の絶好のチャンスにできるかどうか。まずは産後ケアがどのようなものなのか、理解するところから始める必要がある。(取材日:2017年5月31日)

 

林 謙治(はやし・けんじ)
国立保健医療科学院 名誉院長