福岡堅樹 ラグビー選手/日本代表 ラグビーと医学 ふたつの道を歩む

2015年、ラグビーワールドカップで試合を大きく動かした“スピードスター”、福岡堅樹。彼には、医師になるという幼いころからの夢があった。彼は将来、ラグビー選手の引退後、医学部を受験し医師を目指すという。言葉では簡単な話だが、それを決意し実行できる人間は多くない。ふたつの夢を実現させるための構想とは。
文・小島 沙穂 Playce

 

福岡堅樹 ラグビー選手/日本代表

ラグビー選手、福岡堅樹にはある夢があった。開業医の祖父の影響で、幼いころから医師になりたいと考えていた。高校生になった福岡は、志望大学を筑波大学医学部に設定した。国内有数のラグビー部と医学部の両方を有する国立大、筑波大学は、福岡にとって最高の環境に違いなかった。

しかし、高校3年生の花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)を終えた秋。筑波大の合格圏内は難しいという判定だった。現役で受験をするも、センター試験の点数はやはり同大医学部の合格基準に届かなかった。浪人して翌年の再挑戦でも、残念ながら前期二次試験で不合格となった。

国立大の後期試験を前に、福岡には3つの選択肢があった。もう一年浪人し、ラグビーから離れて勉強に集中すること、レベルを下げてラグビー部のない筑波大以外の国立大医学部に進むこと、そして筑波大学の別の学部に進み、ラグビーを続けながら未来の自分に医師になる夢を託すこと。彼が選んだのは、3つ目の選択肢。彼は、ラグビーをあきらめたくなかったのだ。後期試験で同大学の情報学群を受験した福岡は無事合格。情報学を学びながらラグビー部の一員として活躍している。2016年春の卒業を前に、福岡は何を見るのだろう。

ラグビーと医学
どちらもあきらめはしない

福岡の最大の武器はなんといってもその“スピード”である。50mを5秒8で走るその足は、世界でもなかなか見られない。2013年にはそのスピードが評価され、日本代表にも選出された。リオデジャネイロ、東京と今後の夏季オリンピックで、その足は試合を大きくかき回すと期待されている。

「スピードを活かして自分の役割を果たし、代表チームで結果を残したいです。4年後の東京オリンピックの時期には、日本代表チームの核となっていたいですね」

そんな福岡だが、大学進学時に最大の選択を迫られた。筑波大学でラグビーをプレーするか、別の大学の医学部で医師になる夢のどちらかを選ばなくてはいけない状況にあったのだ。しかし、彼は片方の夢を捨てるのではなく、どちらの夢も叶える方法を導き出した。

「僕は、筑波大学の情報学群に入学し、ラグビー部で活躍する道を選びました。しかし、『医師になる夢』をあきらめたわけではありません。まだ先のことになりますが、ラグビーの選手として世界の舞台で活躍した後、もう一度医学部へ入学し直して医学の道を目指したいと考えています」

そして今、福岡は大学4年生の冬。学生の本分である勉強、具体的に言えば卒業論文に取り組んでいる最中である。大学卒業後の2016年春には、プロの選手としてデビューし、プレーを見せていく。

そして未来の2019年のワールドカップと2020年の東京オリンピック。どちらも日本国内で行われる大会だ。2020年、アスリートとして肉体的にはピークに近い28歳になる。彼のターニングポイントは、おそらくその時期となるだろう。それまではラグビー選手として、プレーを極め、その後、医師への道へシフトして第2の人生を歩むというのが福岡の構想だ。

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