2015年4月号
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スティーブ・モリヤマのクリエイティブサロン

デジタル・マーケティングで日本を元気に

中瀬浩之氏 (BENLY代表取締役社長)

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中瀬浩之氏 (BENLY代表取締役社長) text by Steve Moriyama

左)中瀬浩之氏(BENLY代表取締役社長)、右)筆者

―海外進出を目指す日本企業の投資効果(ROI)と売上向上に焦点をあてた、デジタル・マーケティング専門家集団を率いる中瀬浩之氏。もともとは富士通のエンジニアだったそうですね。

中瀬氏: はい、システム・エンジニアとかプロジェクト・マネジメントをしていました。サラリーマンといっても母親の会社の実質的な経営もやっておりましたので、会社経営という観点では、そろそろ20年になります。富士通の後、デロイトに転職して、その時、スティーブさんの本を読んで刺激を受けました。

―そうだったのですか、ありがとうございます。ご縁があったのでしょうね。まずは、我々の好物で乾杯しましょう。さて、サラリーマンを辞めて起業に至るまでの軌跡を教えてください。

中瀬氏: それにしても美味い酒ですね、余市20年。起業の理由を一言でいうと「世界中の人々が幸せになるものを生み出してみたい」と思ったからです。

―なるほど、起業にいたるまでの経緯を駆け足でお聞かせください。

中瀬氏: 私は米国の大学に留学していたのですが、ちょうどその頃ウィンドウズ95が発売され、アメリカはインターネット創成期の真っただ中でした。私もネットの世界にどっぷりつかり、家庭教師や大学のカフェのバイトでためたお金を全てパソコンにつぎ込み、日夜いじっていました。大学の専攻も途中でコンピュータ・サイエンスに変更し、サーバーを構築したり、インターネット・ラジオなどを開設するなど、まさにネットの世界で暮らしていました。

ネットの世界では、人種の垣根がありません。英会話が完璧にできなくても、チャットの世界では、白人の女の子も私のことをアジア人ではなく、同世代の男の子として扱ってくれました。そういうモチベーションもあり、ますますのめりこんでいきました。

―なるほど、タイミング的に最高の時期にアメリカで貴重な経験を積まれたわけですね。インターネット・ラジオでは、どんなことを発信されていたのですか。

中瀬氏: 「thinkup.org」というドメインを取って、同世代の学生を集め、好きな音楽を流したり、「インターネットで世界はどう変わるのか」「10年後の自分たちはどうなっているか」といったトピックについて、熱く語っていました。そのとき、番組作りに参加してくれていた人の中にバックパッカーとしてアメリカを旅行中の尖がった日本人学生がいました。「10年後、インターネットを通じて、世界をよくするサービスを作るのが僕の夢だ」と熱心に語っている彼の姿は印象的でした。一方、当時の私は自分の力で世の中を良くすることなど夢にも考えていませんでした。就職先も日本で決まっており、ただ「日本企業をインターネットで元気にする」と言ってその彼と握手して別れました。

―インターネットの可能性を信じていたものの、やはり日本に帰国し大企業に入られたわけですね。その時、心の中に違和感はなかったのでしょうか。

中瀬氏: ある種の違和感はあったと思うのですが、具体的に「何を成す」という目標はもっていませんでした。ところが、日本で働き始めてしばらくしてから、ある日テレビを見ていたら、先ほどのアメリカで出会った学生が起業して注目されていることをテレビで知りました。すぐに連絡をとり、食事をしたのですが、その時の彼の言葉が私の心を激しく揺さぶりました。「現状で満足しているのですか。アメリカで出会った頃のヒロさんは、常に世の中の仕組みに疑問を持ち、いろいろ考えていた。僕はヒロさんのその姿勢に触発されて、あれから常に考えるようになったのです」と。その時、自分の頭の中にあった「心の安定」や「居心地」という概念が総崩れしました。果たしていま自分が「すべきこと」「したいこと」をしているのだろうか。寄らば大樹の陰で、大企業の仕組みに甘えているだけではないだろうか、と。

―もともとお持ちだった「健全なる猜疑心」が再び頭を持ち上げてきたのですね。「心の安定」と「居心地」についてもう少し教えていただけますか。

中瀬氏: 私にとって「心の安定」が保たれている時というのは、常にチャレンジしている時です。「居心地」の良い場所とは、厳しくてもチャレンジさせてくれる場のことです。結局、自分にとって居心地の良い場所は、起業以外にありえないという結論に達しました。

ちょうどその頃、母親が大病を患い、闘病生活をしていました。母は、実家に大きな負債がありながらも、兄や私のために、身を粉にして働き、育て上げてくれました。そんな母がたった一度だけ「私は何のために働いているのだろうか」と心情を吐露したことがありました。今まで泣き言一つ言わずに働いてきた母の心の声を聴き、当たり前と思っていた自分が腹立たしく思いました。また、当時つき合っていた彼女に「一度きりの人生、好きなことを仕事にしたほうがいい」と言われました。彼女自身、休みもほとんどなく働き詰めでしたが、いつも輝いていました。様々なことが同時期に重なったこともあり、改めて自分の人生を見直し、起業の道へと進みました。

―まさにシンクロニシティ(共時性)。導かれていく感じですね。その彼女が...

中瀬氏: ええ、妻です(笑)。起業の時も一つ返事で了解してくれました。今も仕事中心で家にはほとんど帰れませんが、心から応援してくれており、感謝の言葉しかありません。

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