IBMからスピンオフ続出 テキサス州オースティン「起業家の街」へ大変貌

デル、チボリ・システムズなどハイテク産業を牽引する企業が創業され、全米を代表する「地域発のハイテク・クラスター」となったオースティン。極めて保守的な街が、数十年で起業家を次々と生み出す街へと変化し得た仕組みとは。

“起業しやすい街”オースティン

テキサス州オースティンは、シリコンバレーほどではないが、全米を代表するハイテク・クラスターの一つである(図1)。もともとテキサス州の州都であり、過去数十年の間に急速に成長し、現在、人口88.5万人を有する大都市に成長した。

しかし1970年代までは、役所関係組織と学生数5万人を有するテキサス大学オースティン校が最大雇用者という極めて保守的な空気の街であった。1970年後半からオースティンは徐々に変化を遂げていく。IBM、モトローラ、テキサス・インスツルメンツ(TI)など大企業の進出、テキサス大学からスピンオフした軍需企業(トラコア社)の出現、1980年代には国家プロジェクト(MCC、SEMATECH)の誘致の成功がそれである。

他方で、そのころから現在にも続く起業家精神は散見された。1984年にテキサス大学の学生であったマイケル・デルがデル・コンピュータを設立したり、IBMオースティンからのスピンオフが複数設立されたりして、少しずつオースティンには起業家が集まりハイテク企業の集積が進むようになった。とりわけIBMオースティンからのスピンオフとして設立されたチボリ・システムズが1995年にNASDAQに上場すると、全米でもオースティンに対する注目度が一気に高まった。

デル・コンピュータやチボリの成功に端を発して、オースティンは徐々に保守的な街から起業家の街へと大変貌を遂げていった。それと同時並行的に、ベンチャーキャピタル(VC)、弁護士事務所、会計事務所、そしてヘッドハンティング会社なども徐々に集積しだし、起業のためのエコシステムの厚みは増していった。現在でもオースティンは「全米で起業しやすい街」の上位5地域には必ず名を連ねる常連となっている。

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