国際標準学力・コンピテンス 教育の国際イノベーション

デンマークでの中学3年生の全国学力テストは、数学を4時間かけて解く。公式集も計算機もパソコンも持ち込み可。
国際標準学力テストPISA(ピザ)は、2000年よりOECD加盟国にて実施されている。「これまで何を学んだか」(パフォーマンス(学業成績)モデル)ではなく、「これから何ができるか」(コンピテンス・モデル)を測ろうとするテストである。
パリに本部がある経済協力開発機構(OECD)は、ヨーロッパ仕様の新しい国際標準テストを開発した。経済界が最も興味を示す教科は理科系の教科であるが、OECDは真っ先に「読解力」テストを開発した。実例を挙げよう。
落書き
学校の壁の落書きに頭に来ています。壁から落書きを消して塗り直すのは、今度が4度目だからです。創造力という点では見上げたものだけれど、社会に余分な損失を負担させないで、自分を表現する方法を探すべきです。
禁じられている場所に落書きするという、若い人たちの評価を落とすようなことを、なぜするのでしょう。プロの芸術家は、通りに絵をつるしたりなんかしないで、正式な場所に展示して、金銭的援助を求め、名声を獲得するのではないでしょうか。

コペンハーゲンの進学校では対話が中心の授業。生徒は理論明晰に発表をする。
わたしの考えでは、建物やフェンス、公園のベンチは、それ自体がすでに芸術作品です。落書きでそうした建築物を台なしにするというのは、本当に悲しいことです。それだけではなくて、落書きという手段は、オゾン層を破壊します。そうした「芸術作品」は、そのたびに消されてしまうのに、この犯罪的な芸術家たちはなぜ落書きをして困らせるのか、本当に私は理解できません。
ヘルガより
十人十色。人の好みなんてさまざまです。世の中はコミュニケーションと広告であふれています。企業のロゴ、お店の看板、通りに面した大きくて目ざわりなポスター。こういうものは許されるでしょうか。そう、大抵は許されます。では、落書きは許されますか。
許せるという人もいれば、許せないという人もいます。落書きのための代金はだれが払うのでしょう。だれが最後に広告の代金を払うのでしょう。その通り、消費者です。
看板を立てた人は、あなたに許可を求めましたか。求めていません。それでは、落書きをする人は許可を求めなければいけませんか。これは単に、コミュニケーションの問題ではないでしょうか。あなた自身の名前も、非行少年グループの名前も、通りで見かける大きな製作物も、一種のコミュニケーションではないかしら。
数年前に店で見かけた、しま模様やチェックの柄の洋服はどうでしょう。
それにスキーウェアも。そうした洋服の模様や色は、花模様が描かれたコンクリートの壁をそっくりそのまま真似たものです。そうした模様や色は受け入れられ、高く評価されているのに、それと同じスタイルの落書きが不愉快とみなされているなんて、笑ってしまいます。
芸術多難の時代です。
ソフィアより
(以上、出典は国立教育政策研究所編『生きるための知識と技能』(ぎょうせい、2002年、67~72頁))
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