教育の国際的イノベーション-国際標準学力テストPISA

私たち日本人がテストときくと、「指定された範囲で何を学んだか」を調べるものだと考える。したがって、高校入試は中学までに学んだことを調べるテスト、大学入試は高校までに学んだことを調べるテストだと解釈する。だが、「これまで何を学んだか」(パフォーマンス(学業成績)モデル)ではなく「これから何ができるか」(コンピテンス・モデル) を測ろうとする、発想をまったく変えたテストが登場した。それがPISA(ピザ)である。

経済協力開発機構(OECD)に学力など教育に関する様々な調査を持ち込んだのは、米国政府だった。1983年のこと米国の教育再建を目的とする特別委員会によって『危機に立つ国家』という報告書がまとめられると、米国政府はとりわけ日本をモデルに知識基盤経済を推し進めようとした。

しかし翌1984年、米国はユネスコを脱退してしまう。

1999年のPISA「評価の枠組み」

当時、国際的な教育政策を扱い、教育統計を収集していたのは唯一ユネスコだったため、米国はこの役割をOECDに求めることにした。OECD内部で担当する部局は「教育イノベーション・センター(CERI)」だったが、CERIは米国の提案に難色を示した。

そもそも、教育は、国家利益に深く関わる内政であって、他国、あるいは国際機関が介入できる領域ではなかった。それまでOECDが扱っていたのは、科学技術政策とかろうじて職業教育だけだったのである。

第二次世界大戦後、先進工業国の経済では技術のイノベーションが激しくなり、これに対応できるように労働者の質の向上が必須条件になってきた。初等教育(小学校)はすでに行き渡り、中等教育(中学校・高等学校)の普及が現実の課題になってきた。中等教育が大衆化されれば、それまで対象とならなかったような低学力の生徒たちが入学してくる。そのため、中等教育のどの段階で普通科と職業科とを分けるかというような学校制度の区切り、カリキュラム(教育課程・教育内容)、教育方法などが切実な問題になっていた。

2006年9月の本部(パリ)のマーシャルルームで行われたOECDとTUAC(労働者側諮問委員会)との会議

米国はOECDの生みの親であり、財政の四分の一を提供する最大のスポンサーであって、その申し出を断るわけにはいかなかった。ためらうOECDに決意を促したのは、皮肉なことに、社会主義政権のフランスであった。米国同様に、ヨーロッパ諸国も同じような問題を抱えていたからである。

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