2019年2月号
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パイオニアの突破力

宇宙飛行士・野口聡一氏 宇宙には世界を変える力がある

野口 聡一(宇宙飛行士)

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有人宇宙船といえば、アメリカのスペースシャトル、ロシアのソユーズと、国主体となって開発が進められてきたが、遂に、民間企業による宇宙船が人をのせて飛び立つときが来た。ISS第62次/第63次長期滞在搭乗員として、民間有人宇宙船第一号に搭乗する唯一の日本人が、野口聡一だ。日本人宇宙飛行士としては最年長の54歳で搭乗。ISS滞在中には55歳を迎える。

文・油井なおみ

 

野口 聡一(宇宙飛行士)

宇宙飛行士としてのデビューから
波乱と初挑戦の連続だった

野口が宇宙飛行士となった最初のアサイン(搭乗の決定)は2001年4月のこと。スペースシャトル、エンデバー号で2002年7月の打ち上げ予定だった。

ところが、不具合や搭乗機の変更などで幾度となく延期。その間に起こったのが2003年、コロンビア号の事故だった。犠牲となった7名の宇宙飛行士たちのため、また、今後も続く宇宙開発のため、次に控えた野口たちの打ち上げは、奇しくもNASAの威信を賭けてのプロジェクトとなった。事故の原因究明は思うように進まず、さらに延期に次ぐ延期。ようやく2005年にディスカバリー号で出発となった。この搭乗で野口は、ISS(国際宇宙ステーション)で船外活動をした初の日本人宇宙飛行士となる。

船外活動(EVA)訓練の様子  ⒸJAXA/GCTC

2度目の搭乗は2009年、ロシアのソユーズ宇宙船だった。長期宇宙滞在時代に突入し、ロシアから飛ぶ日本人第一期生となり、日本人初のソユーズ船長補佐として半年近く宇宙に滞在した。このとき野口は数々のミッションの傍ら、宇宙からツイッターをほぼ毎日配信し話題となった。

大きな転換点に関わる巡り合わせと
危険を受け入れる覚悟

3度目のアサインに当たり、2017年11月に行われた記者会見で野口は、「初物の試験は私が担当するようになっているようだ」とジョークを放った。

「2011年にスペースシャトルが引退したこともあり、この10年、日本人宇宙飛行士はロシアから宇宙へ行くのが定着していました。それがまたアメリカから、しかも民間企業による初の有人宇宙船で飛ぶプロジェクトに一から関わることになったんです。毎回、大きな転換点に関わることになる、不思議な巡り合わせですね」

過去2度とも全く違うチャレンジを経てきた野口だが、今回大きく違うのは、打ち上げ1年前となった今も搭乗する宇宙船が決まっていないということ。候補であるスペースX社とボーイング社はそれぞれしのぎを削って開発を進めているが、いずれもまだ宇宙でのテスト飛行はこれからだ。

「通常は、打ち上げ予定の2年前には宇宙船のどの席に座るかまで確定して訓練します。今回も2017年11月から訓練に入ったので、両方の宇宙船を想定して進めています。とはいえ現状のままでは深い訓練に踏み込めないので、我々もNASAも決定の見極め時を思案しています。2019年に入ればすぐテスト飛行が始まるはずで、そうなれば、私がいつ、どの宇宙船に乗って行くのかも決まってくるでしょう」

宇宙飛行士になって、20年目。振り返れば、最初から最後まで計画通りに進むミッションの方が少ない。わずかな欠陥が大事故につながる有人宇宙飛行だからこそ、逆に延期はつきものであり、必要なものなのだという。

「危険が0になることはありません。でも、危険な作業をやり遂げることで得られる利益や意味は必ずあります。宇宙飛行士に必要なのは、その危険を受け入れて調整する覚悟。僕にとってこの仕事は“危険はあるけど恐怖はない”というものになっているんです」

では野口が思う、危険の先にあるその“意味”とは何なのか。

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