東京五輪から変貌を遂げたまちに、ファッション文化の礎を築く
青山にはファッション関係の企業が集積し、海外ブランドの旗艦店が立ち並んでいる。また、最先端のデザイナーやクリエイターも多く集まっている。そのきっかけをつくったひとりが、今年没後10年の石津謙介である。
東京オリンピックで変貌する青山に可能性を感じる
石津謙介は、明治末期の1911年に岡山県の紙問屋の家に生まれる。裕福な家庭に育ち、東京の明治大学に進学し、卒業後は家業を継ぐために帰郷する。やがて戦時体制下で、紙が統制品となり、経営が行き詰まり、1939年に中国の天津に移り住む。そして終戦を迎え、無一文状態で日本に帰還する。
終戦後は神戸・三宮で闇市の商売をしたり、大阪のレナウンサービスステーション(現レナウン)で勤めた後に、1951年に大阪で自ら紳士服をデザインする石津商店を創業する。石津商店は順調に発展し、4年後の1955年に東京に進出すると同時に、社名を「株式会社ヴァンヂャケット」に変更する。
東京に進出した当時は麹町に事務所を構えていたが、その後、日本橋、愛宕などを経て、1964年に青山に本社を移転した。その年は、前回の東京オリンピックが開かれた年で、青山通りが22メートル道路から40メートルに拡幅され、まちが大きく変わろうとしていた時期であった。その当時は、青山といっても、閑静な住宅街で、現在のおしゃれなまちというイメージからは程遠かったのであるが、オリンピックを契機に変貌を遂げつつあった青山に魅力と可能性を感じたのである。
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