傘シェアNO.1ウォーターフロント 500円傘はなぜ生まれたか

飲食店経営などで成功した実業家が、全ての事業を売却してイチから立ち上げた傘メーカー・シューズセレクション。常識を覆す価格、営業戦略、機能で日本一に登り詰めた。

シューズセレクションは年間2010万本の傘を販売。顧客視点の商品開発や斬新な販売方法などで、最後発から業界トップシェアを達成した

日本で、1年間で流通する傘の本数は人口とほぼ同じ1億2000万本前後と言われている。そのうちの約17%のシェアを占めるのが、シューズセレクション。「waterfront(ウォーターフロント)」のブランドで多くの人に知られている。

代表の林秀信氏が洋傘の製造販売に乗り出したのは1986年、40歳のとき。洋傘メーカーとしては最後発だったが、いまでは日本一の傘メーカーだ。

林氏はもともと、東洋医学の治療院を皮切りに様々な事業を手掛け、都内に飲食店を20店舗構えるほどの実業家だった。40歳のときは既に成功者として名を知られる存在だったにもかかわらず、傘メーカーとして起業する際、全ての事業を売却している。

林 秀信(はやし ひでのぶ)シューズセレクション代表取締役社長

なぜ、そうまでして傘に懸けたのか。

「私は長崎の生まれなのですが、地元は学校に行くまで歩いて1時間かかるような場所で、年に1・2回、地元のお祭りでしか傘は買えなかった。その傘を家族で大切に使う。傘は貴重品で、憧れの品でした。近所に番傘の職人がいたので、よく遊びに行きましたね。大人になって事業をしながら『モノづくりがしたい』という想いを抱えていたときに、その原体験がよみがえってきました。当時、傘といえば黒と紺が主流で形にも個性がなく、満足できるものがなかった。市場性云々よりも、自分が欲しい傘を作ろうと思ったのです」

3900円の傘を500円に

全くのゼロから洋傘の製造販売に乗り出したシューズセレクション。しかし、林氏は「素人でも参入しやすかった」と当時を振り返る。

「30年前、傘は完全な分業制でハンドル、中棒、露先、ハジキなど全ての部品がバラバラの町工場で作られていました。その部品を組み合せれば傘ができるので、最初は、一軒一軒、工場を訪ねて回って、それぞれの部品を作ってもらいました。そうして傘づくりについて一通り学んだ後、飲食店経営などで得た資金をもとに、茨城県の古河市に傘を作る工房を作って、職人を集めました」

当初は他社へのOEM供給も手掛けていたが、林氏は「一番後ろからスタートしたのだから、ほかのメーカーと同じことをしてもしょうがない」と、自らのアイデアを活かした傘の開発に力を入れた。それが、品質、デザイン、値段のバランスにこだわり抜いた自社ブランド「ウォーターフロント」の誕生につながってゆく。

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