Fitbitを大ヒットさせた日本人 シリコンバレー起業の連鎖

スタートアップは「千に三つしか成功しない」と言われる中、熊谷芳太郎氏が参画した7つのスタートアップでは、5つも出口を迎えた。Fitbit、Picture Visionなど社会に変革を起こす事業をどのように立ち上げたのか。

「Fitbit」はスマートフォンと連動させて、毎日の歩数、階段昇降数、睡眠状態を記録できる

シリコンバレーと東京を結ぶ

ソフトバンクから発売された健康機器Fitbitを腕につけている友人を見たことはないだろうか。スマートフォンと連動させて、毎日の歩数、階段昇降数、睡眠状態を記録する。SMAPをCMに起用して日本に上陸したFitbitは、米国生まれのスタートアップである。大手IT企業からの買収の申し出を断って独自にビジネスを拡大し、2014年現在、単品製品の販売だけで推定売上高600億円以上を誇るサンフランシスコ所在の成長企業である。今や生産は追いつかず、日本の他のキャリア企業から採用依頼があるものの、断らざるをえない状況だ。

 

同じような健康機器をソニー社等が販売しているが、Fitbitの足下にも及ばない。その違いはソフトウエアにあるという。その開発の担い手は、シリコンバレー生まれのスタートアップに喜んで就職した、StanfordやMITの新卒エンジニア達だ。彼らの狙いは、Facebookのように世界を制覇するかもしれない製品サービスを担う開発の経験とストックオプションだ。

 

いち早く、Fitbitに目をつけた孫正義氏の慧眼には「さすがは」の一言だが、Fitbit側のアジア展開を担当している熊谷芳太郎は、孫氏とは旧知の仲である。熊谷は法政大学のOBであり、東京に出張すると、母校の後輩達に会いにきてくれる。私の学生達とランチするために、ポロシャツを着て登場、「ごめんごめん、孫との打ち合わせが長引いちゃってさ」と言い訳しながら、やってくる普通のおじさんだ。

日本から米国へ渡り企業勤務

熊谷は仙台で育ち、1965年に法政大学工学部機械学科に入学後、香港行きの貨物船掃除のアルバイトに応募して初めて海外旅行を経験したことと、輸送業を米国で立ち上げて成功させたという大学OBの講演に多いに刺激を受けて、いずれ米国に渡りたいと願っていた。卒業後、三菱鉱業セメントに入社したものの、自身を取り立ててくれるOBが社内にいない日々に孤独を感じ、半年で退職して憧れの米国に遊びに行った。そのままジョージア州立大学のESL (英語学習コース) を履修してから理数学部に編入、2年後に卒業した。

 

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