「博報堂ウェイ」を浸透させた 国際戦略の鍵はネットワーク

国際業務局に異動になり、「国際2000年構想」を打ち出した。海外戦略で重要となるのは、いかにして現地パートナーのネットワークを築くか。国別、地域別にパートナーを選別し、独自のネットワークづくりに取り組んだ。

2000年に向けた国際戦略

1993年12月、私は珍しく定期の人事異動を命じられた。異動自体は別に驚かない。何故なら既に私はある内示を受けていたからである。ところが驚いたことに行き先が急に変わった。

当時、私は16営業局の局長であったが、かねてから目を掛けていた後進に席を譲り、私自身は国内の別の営業局の局長に異動することが決まっていた。ところが国際業務局の方で、ある問題が発生し、どうしても局長を変える必要が起こったらしい。そしてその標的となったのが私である。

上司に呼ばれて「お前さん、国際!」と言われ、「えっ?」と私は驚いた。「国際ですか?」。別に国際が嫌いな訳ではない。ただ、急に異動先が変わったので驚き、かつ、その理由を聞こうとした。上司は何も答えてくれない。

「良いからとにかく行け!」と答えるばかり。もう質問するのも面倒となって「分かりました」と受諾した。

さて、異動先が急遽変わったので私も用意していた方針を変えざるを得ない。内示を受けていた国内営業局はかつて私が担当していた大手得意先が大黒柱で、ある意味極めてやりやすい。しかし守備範囲が180度変わったので新しい方針を考えなければならない。暫くして私は頭を切り替えた。「やってやろうじゃないの!」

まず私は国際業務局を取り巻く状況を研究し始めた。以前、国際と縁の深い「NECチーム」という営業部隊を率いたことがあるし、私自身ニューヨークで働いた経験もあるので理解はしやすかったが、やはり国際の現場に立ってみると知らないことが多い。でも新しいことに挑戦することは楽しかった。

当初「なんで俺が国際なの?」と考えていたが、頭を切り替えれば挑戦しがいのある職場だと思った。なぜなら私の目からすると国際環境はかなり未整備で、やるべきことが沢山あると思えたからである。爾来、十数年に及ぶ国際担当生活が始まる。博報堂の海外オペレーションの歴史は決して新しくはない。しかし今後の得意先の展開を予測すれば十分な対応は難しい、と思った。そこで早速国際グループの中に「国際戦略委員会」というチームを立ち上げて「2000年に向けての国際戦略」を考え始めた。

リーダーは私であるが、サブリーダーとして私が信頼する棒田君を選んだ。彼はマーケティング思考に優れ、同時に国際の状況に精通している。チームの構成員の中に海外で働いている仲間も入れて、国内目線ばかりではなく、国外からの目線も大切にしようと思った。

米国を代表する広告業界誌である「アド・エージ誌」に、博報堂の国際戦略に関する記事が掲載された

海外でビジネスチャンスを

私が国際も面白いと考えたのには二つの理由がある。まず第一はこれからの日本の大手得意先は今まで以上に海外で稼ぐ必要が出て来るだろうということ。そこにビジネスチャンスが生まれる。もう一つの理由はライバル電通に追いつき追い越すチャンスが海外にはあるのではと考えたからである。

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