自己管理と客観視の徹底で緻密な戦略を立て実行する

ターゲットとなるレースを定める。そのレースで勝つために、必要なタイム、それを実現する体、動き。自分の体を理想へと作り上げる作業。過酷と言われるトライアスロンというスポーツは、スタートラインに立つ前に、やるべきこと、考えるべきことが山ほどある。ベテランの域に達した山本良介は、いまトライアスロンがおもしろいと、若手のように目を輝かせながら、笑顔を見せてくれた。

山本良介 トライアスリート

スイム、バイク(自転車)、ランの3種目を1人のアスリートが連続して走破する。「スタートラインにたつ勇気」、そんな言葉もあるほど過酷な競技、それがトライアスロンだ。自然を感じられることも魅力のひとつで、近年その競技人口も増加しているという。レースによって距離も異なるが、競技としてのトライアスロンは、オリンピックの種目として採用されている「オリンピック・ディスタンス」(スイム1.5km、バイク40km、ラン10kmの合計51.5km)だ。

合宿地の宮古島で出会った山本良介からは、過酷なスポーツに挑む者からうけるだろう、鋭角で鋭く、ストイックな印象を持たなかった。シーズンを直前に控え、張りつめた緊張感を放ってもおかしくないこの時期に、なぜそんなにも柔和な雰囲気を感じたのか。今年35歳になるベテランは、「トライアスロン」という競技をしっかりと咀嚼し、楽しんでいた。

夢から現実としての目標へ

姉について小学生のころから水泳を始め、ジュニアオリンピックに出場。勉強よりも体を動かすことが好きだった山本少年は「夢は?」と聞かれればオリンピックと答えていた。コーチの勧めで18歳でトライアスロンデビュー。時は1997年。トライアスロンが正式種目として初めて採用されるシドニーオリンピックの3年前のことだ。オリンピック出場の夢は叶わず、故障や、二十歳を超えて収入もなく競技を続けることへの焦りもあって、じつはその前年に一度競技を辞めていた。しかし、山本は思い立ってシドニーまでオリンピックを見に行くことにした。そこでトライアスロンを観戦し、「初めてオリンピックに出たいという気持ちが、現実感を伴って芽生えた。夢じゃなくて目標に変わったんです」。

25歳での出場を目指した4年後のアテネ五輪はわずかの差で代表の座を逃すが、そのときは挑戦を続けることしか頭になかったという。次の4年は競技に集中するための万全のサポートを得ることができ、見事北京オリンピックの出場権を獲得。

「公にはメダルを目指します、と言っていたけど、自分の中では出場する、ということが大きな意味を持ちすぎていたんです。代表に決まって、一度心が切れてしまった。そこからは感覚がもどらず、不安を抱えたままスタートラインにたっていました」

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