ターゲットは平昌五輪 スキーの王様の新たな野望

ノルディック複合で前人未到のワールドカップ個人総合3連覇を達成、五輪では複合団体で2度も金メダルを獲得するなど世界の頂点を極めた荻原健司。現在は指導者として雪山に戻り、世界を舞台に戦う選手たちの指導にあたっている。視線の先に捉えるのは18年の韓国・平昌五輪。かつての「キング・オブ・スキー」の新たな挑戦が幕をあけた。
Text by Io Kawauchi(The Startup代表取締役)

Photo by Naoyoshi Sueishi

今年のソチ五輪で日本は金、銀、銅合わせて8つのメダルを獲得した。

そのなかで、長野市に本拠地を置く北野建設スキー部は5人の所属選手のうち4人が日本代表に選ばれ、ノルディック複合の渡部暁斗選手が銀メダル、スキー・ジャンプのラージヒル団体で竹内択選手が銅メダルを獲得、モーグルの上村愛子選手が4位入賞を果たすという見事な結果を残した。この世界トップクラスの選手が顔を揃えるスキー部で、指導者とマネージャーを兼任するのが荻原健司だ。かつてノルディック複合で「キング・オブ・スキー」と賞賛された男はいま、指導者としても世界を席巻しようとしている。

「18年の韓国・平昌五輪では所属選手全員が日本代表、全員がメダリストになることを目標にしています」。

この壮大な野望の実現可能性が「十分にある」と語る荻原の指導力はどのようにして培われたのだろうか。

V字ジャンプと競技ルール変更

92年のアルベールビル、94年のリレハンメル五輪でノルディック複合団体での金メダル獲得、92-93シーズンから史上初のワールドカップ個人総合3連覇、世界選手権では個人で2度、団体で2度の金メダル。

現役時代の荻原は世界の頂点に君臨していたといっても過言ではない。

しかしその道のりは、ちょうどジャンプの軌跡のように浮いて沈んだ。

大学1年生のとき、初めてのワールドカップで世界トップクラスの選手の実力を目の当たりにした荻原は「これからの競技生活でどんなに一生懸命頑張っても、世界の舞台で活躍なんてできないだろうな......」と途方に暮れた。

それから意識を変えて練習に取り組んだものの、大学2年、3年生になっても成績はパッとせず、学生最後のシーズンを迎えて、荻原は「このままでは絶対に世界で通用しない」と焦っていた。そして決断する。

「ちょうどその時期、海外の選手たちがV字ジャンプをどんどん取り入れ始めていました。日本ではまだ誰も導入していなかったんですけど、今までと同じような成績じゃ情けない、最後のシーズンだし何かやらなきゃと思って、V字ジャンプを始めたんです。どうにでもなれというのが本心でした」

このがけっぷちの賭けが吉と出た。大吉だった。ジャンプの飛距離が10〜15メートルも伸びたのである。もともとジャンプが課題だった荻原は、突然、ノルディック複合で世界ナンバーワンのジャンパーになった。

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