おもちゃを生かす10年改革

06年に2大おもちゃメーカーが合併して誕生したタカラトミーは、大正時代から日本のおもちゃの歴史をつくってきた。中でも3代目になってからは、工場の閉鎖やキャラクタービジネスへの進出など、転換の連続の中で、大きく飛躍した。

家業と工場、どちらをとるか

私が当社に入社したのはプラザ合意が締結される3年前の82年です。85年のプラザ合意で、1ドルは260円から一気に120円まで円高になり、売り上げの約7割を輸出に頼っていた当社は急速に経営悪化していきました。おもちゃ業界は労働集約型産業の典型です。すでにアメリカでは、国内で工場を維持できず海外に移管するメーカーが出始めていました。日本の家電メーカーに今襲い掛かっている問題が、おもちゃ産業には28年前に訪れていたのです。当社も国内に4つの工場を持ち、1000人の従業員を抱えていましたが、翌86年に3工場を閉鎖し650人を解雇しました。その決断に、「トミカ」や「プラレール」を開発した2代目の父は徹底的に反対しました。しかし、工場を残すなら、家業である「おもちゃ」や、「自ら考え・つくり・売る、自社ブランドを持つ」という創業の想いを諦めなければならなくなると考えたのです。

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