データの時代への視差
社会全体にとって重要なデータの共有は人類全体の共生にとっての前提条件・データは社会の富の増大のための公共財として扱われるべき対象である― そう考えなくては、品格のある社会の進歩は実現しない。
世界はデータの時代であるという。
近年、資源、経済、環境等々の厳しい課題が特定の地域に輻輳して、世界全体のストレスが増大しているように感ずる。歴史は、我が国が"空気"に流され、データを通して考え、意思決定をすることが不得手であったことを示唆しているが、本格的なデータの時代への準備はできているのだろうか?
世間と世界
世間は参加することが可能であるが世界は遠く世界の仲間になるには努力が必要である。我が国では、世界の何処かの国で新しいキャッチフレーズが登場すると、世間では期待感という"空気"が先行し、煽られた言説が飛び交い、あっという間に飽きられて"冷たい空気"でクールダウンする。明治以降、繰り返してきた熱しやすく冷めやすい戦略が何時まで通用するのだろうか? 誰かが準備してくれたデータを使うだけでなく、自分達だけでなく世界の誰かの役に立つようにデータを提供することによって、つまり傍観するのではなく参加することによって初めて遠かった世界が世間になり、世界に仲間が増える。それがデータ活動の社会的な価値の本質であると考えるが、そうしたデータそのものの普遍的な特徴を前提に、データへの眼差しの違いに着目しながら、見聞した内外のデータ関連の活動について紹介し、これからの社会の本物の活力を創出するためのデータ活動について考えてみたい。
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