山種美術館の躍進に見る「美術館の戦略経営」とは

山種美術館長・学術博士 山﨑妙子氏 新美術館の建設・運営に当たって、「上質なおもてなし」「また戻ってきたくなる、とっておきの場所」という理念を打ち出した

バブル崩壊以降20年続く景気の低迷。とりわけ芸術団体の経営状態は、日本全国、どこも厳しい。2008年、財政再建を目指す橋下徹大阪府知事(当時)が、大阪センチュリー交響楽団への年間4億円の助成金を1億円に減額し自立を促したことからも明らかなように、芸術団体に対しても、一般企業なみの企業家精神や戦略経営を要求するのが、欧米と異なる日本の特性だ。

そういう中にあって、公益財団法人ながら、社会・経済の環境変化を読み取り、経営革新を断行して来館客数を伸ばし、今注目を集める美術館がある。東京・広尾の山種美術館だ。そして革新のリーダーシップをとるのは、3代目館長・山﨑妙子さん(51)である。

一見マイナーな芸術分野でも運営的に成功し得るという現実

山種美術館は、日本美術を愛し、画家たちとの親交が深かった祖父の故・山﨑種二さん(山種証券創業者)が、「お世話になった下町の人たちに恩返しがしたい。着流しに下駄で近所の人が気軽に立ち寄れるような美術館を作りたい」と、日本橋兜町の山種証券本社ビルに1966年開館した。

どちらかと言えば年配のお客さんを中心に長年親しまれたが、施設の老朽化もあって、98年に移転。千代田区三番町に仮住まいしつつ、新美術館の建設準備を進め、09年、渋谷区広尾に完成・移転した。

山﨑妙子さんは、07年に館長に就任したが、それ以降、とりわけ新美術館開館後は、来館客数の伸びが著しい。日本橋兜町時代は年間12万7000人だったが、三番町時代には14万7000人となり、さらに広尾に移ってからは20万6000人と急伸している。

それも、日本人に人気の高いフランス印象派などの西洋画を扱う美術館ではなく、現代日本人の多くにとっては接する機会の少ない日本画の専門美術館でそれだけの成長を実現している点は注目される。

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