震災を機に新たなブランディングで船出
宮城県大崎市で100年続く寒梅酒造は時を経るにつれ経営悪化し、在庫管理や帳簿の保存もままならない状態だった。大学生のときに家業を継いだ5代目女性経営者の奔走と東日本大震災を経て迎えた新たな船出を追った。
当社のある大崎市は石巻市から30㎞ほど内陸に位置し、東北新幹線では古川駅が最寄りです。酒米づくりから手がけ、自社田で栽培した「美山錦」を使った純米吟醸「宮寒梅」が主力商品です。宮城県が「みやぎ・純米酒の県」宣言をした約30年前にいち早く純米酒造りに取り組んだ頃が全盛期。私で5代目です。
家業を継いだのは女子大生だった07年のことでした。それまではまったく継ぐつもりはなく、福祉系の大学に通い、教育機関に勤めようと関東で就職活動をしていました。
家業の経営状態は以前から悪く、いよいよ厳しくなった大学4年の9月、継ぐ決心をしました。3人の妹がいて、一番下はまだ中学生でしたし、苦しんでいる両親を見て「なんとかしなきゃ!」と必死な気持ちでいっぱいでした。
"作るだけ在庫"からビジョンある経営へ
継ぐと決めてからはとにかく大変でした。私は酒造も経営もまったくわからず、社内にはパソコンすらありません。過去10年分の帳簿の場所もわからず、1カ月に1本しか売れない商品を1000本単位で約60種類も造っていたので造った分だけ在庫になり、20坪弱の倉庫が在庫で溢れ返るほどでした。
そこで、酒の仕込みを手伝いながら、酒税の仕組みを学ぶべく税務署に通い、異業種交流会などで経営を学ぶ日々が始まりました。
その中で気付いたことは当社には経営ビジョンがないということ。「どんな想いで」「何のために」売るかというビジョンがなく、「造れば売れる」という旧態依然とした考え方のままでした。
これではダメだと一念発起、徹底的に経営ビジョンを考えました。結果見えてきたのは、代々受け継いできた農家の血筋を絶やさず、自社田で栽培した米で酒造りをすること。そして、地場の原材料を使い、地域振興に貢献することでした。
次に、コアとなる新商品を開発。どっしりとボディある口あたりが特長の「宮寒梅」に、香りの良さをプラスして日本酒を飲めない人や女性でも飲みやすいようアレンジ、私たちのような若者でも気軽に手に取れるよう手頃な値段で買える「宮寒梅純米吟醸45%」を開発しました。
さらに約60種類展開していた商品を3年間で20種類に減らし、在庫をなくすことを決めました。
全文をご覧いただくには有料プランへのご登録が必要です。
-
記事本文残り58%
月刊「事業構想」購読会員登録で
全てご覧いただくことができます。
今すぐ無料トライアルに登録しよう!
初月無料トライアル!
- 雑誌「月刊事業構想」を送料無料でお届け
- バックナンバー含む、オリジナル記事9,000本以上が読み放題
- フォーラム・セミナーなどイベントに優先的にご招待
※無料体験後は自動的に有料購読に移行します。無料期間内に解約しても解約金は発生しません。