史上最年長で東洋タイトル奪取 世界王座を狙う41歳プロボクサー
今年2月、OPBF東洋太平洋とWBOアジアパシフィックのミドル級王者となった野中悠樹、41歳。東洋太平洋タイトルにおいては、国内ジム所属の男子選手として史上最年長記録となった。勝利直後のインタビューで「伝説、作っちゃいました」と笑ったが、すぐに「これは通過点」と表情を引き締めた野中。目指すゴールはたったひとつ。年齢では区切らない野中の挑戦はいまも続いている。
文・油井なおみ
敗北を経験してさらなる高みへ
チャンピオンを目指す!
『Hard Luck』。不幸や不運、試練という意味だ。国内最年長王者となった野中悠樹のガウンの背には、この文字が刻まれている。
「全然ツイてる人間ではないですね。でも、自分を信じて頑張れば、どんな不運もひっくり返せると信じているんで。実際、いろいろありましたが、ここまで来られましたから」
高校を卒業後、バイク事故で寝たきりとなった野中。長い入院生活で気づいたのは、体の大切さ、健康のありがたさ。治ったら、体を動かすことで夢を追いかけたいと願ったという。
当時、夢中になっていたのは、K-1やボクシング。テレビで観戦する他、触れたことのない世界ではあったが、九死に一生を得た野中は、退院後、思い切ってボクシングジムの門を叩いた。
「テレビで観ていたのは世界タイトルマッチ。強い者同士の駆け引きが当時は分からなくて"俺でも勝てる"と思って観ていました。いざ始めたら、練習生や4回生ボーイにもボコボコにやられ(笑)。自分が思い描いていたものとは全く違う、厳しい世界でした」
それが野中の心に火をつけた。漠然と抱いていたプロへの夢が、すぐに現実の目標へと変わっていった。
21歳で迎えたプロデビュー戦は、ウェルター級で出場し、白星でのスタート。
ところが、翌年出場した西日本ウェルター級新人王予選では、当時、話題の京大医学部生ボクサー・川島実選手に1回戦で判定負け。3年連続、新人王予選に出場しては敗退し、3年目の挑戦では、初めてのKO負けを経験する。
この時、周囲は野中が引退するだろうと思ったというが、実際は違った。
「もっと強いヤツに勝てると思いました。必ずチャンピオンになる。このときそう決めました」
その後、スーパーウェルター級に階級を上げて挑戦を続けた野中。そしてプロ9年目、30歳となった2008年、念願の日本ウェルター級王座を勝ち取った。この試合で剥離骨折を負いながらも、3か月後の初防衛戦にも勝利。翌年には、東洋太平洋王座も獲得する。
現状維持には意味がない
常により強い選手に挑む
しかし、次の防衛戦では判定負けで王座から陥落。プロ10年目の32歳。すぐにでも次に挑戦したい野中に大きな壁が行く手を阻んだ。
「当時の所属ジムから"興行はしてやるけど、お前にもう金は出せん"と言われたんです。その時の気持ちですか? "あー、そうですか"と(笑)。とにかく試合をしたい。それしか頭になかった」
ボクシングには定年があり、その年齢は37歳。近年、選手寿命が延びているとはいえ、30代前半から半ばには引退していく選手が大半だ。
2つのタイトルを経験し、ここが潮時と考えてもおかしくない時期だったが、野中は満足していなかった。
「ボクシングの世界では、日本チャンプ、東洋チャンプじゃ、名前が残らないんです。もう少しで世界に手が届きそうなのに、そこで辞める気はなかったですね。だって、辞めて他のことに挑戦しても、世界一を狙えそうなものなんて、ないですよ。だったら、好きなボクシングで頂点を目指すのみ」
残った道はただ一つ。
自らスポンサーを集め、試合を組んでもらうことだ。
日中はハウスクリーニングの仕事に従事し、夜は練習。その合間にスーツに着替え、スポンサー探しに奔走する日々。野中は半年で400万円を集め、当時最も勢いのあった世界ランカーをウクライナから招き、再起戦に挑んだ。
「僕の負けが予想されていたと思いますが、世界ランクに上がるためには、できるだけ強い選手とやらないと。そこで勝つことに意味があるんです」
2010年9月。この試合で野中は10Rを戦い切り、勝利。世界スーパーウェルター級10位となった。
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