車いすバスケからフェンシング へ 37歳からの転向

車いすバスケットボールのコートを去ることを決めた安 直樹。暗闇の中にいた彼に光を見せたのは、フェンシングだった。しかし、フェンシングの世界でも、彼に困難が降りかかり続ける。見えてきたのは、パラリンピアンの練習環境にまつわる多くの課題だった。
文・小島 沙穂 Playce

 

安 直樹(車いすフェンシング)

安直樹は車いすバスケのプレイヤーとして、37歳の夏までコートを駆け廻った。パラリンピックへ出場したり、海外のプロリーグで活躍したりと、すべてをかけて車いすバスケに取り組んでいた。その安が、2014年バスケからフェンシングへと競技の転向を決めた。ロンドンパラリンピックの選出から漏れたこと、年齢と体力のこと、バスケに対して迷いが生まれたこと......さまざまな背景が重なり、安には何も見えなくなっていた。

しかし、安の心の内にあるアスリートの魂は、まだ燃え続けたいと願っていた。本気で取り組めるスポーツを求めた。だったら、バスケ以外の競技でチャンスを探してみよう。そう考えた安はさまざまな障がい者スポーツに触れてみた。テニスやバドミントン、アーチェリー、ボート――競技を試す中で、「ここでならまだ自分は上を目指せる」と感じられたスポーツがあった。バスケを始めた頃のハングリー精神を再び思い出せた。それがフェンシングだった。

37歳からの挑戦転向して1年で国内トップに

フェンシングを始めた安はめきめきと力をつける。基礎体力はバスケ時代につけているとはいえ、ひたすら動くバスケと俊敏性が求められるフェンシングでは使う筋肉もスキルもまったく異なる。体重を約10kgも落としながらも、約1年間というスピードでフェンシングの基礎を身に付けた。驚くことにその頃には、安は日本のトップをつかんでいた。頂点に立った 安が困ったのは、練習相手の不足である。

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