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プロジェクトニッポン 山梨県
世界最大級の国際ワインコンクールで、2年連続の金賞を受賞。中央葡萄酒のワインは、その名を世界にとどろかせた。それは、数多くの苦難を乗り越え、生み出した成果だった。
中央葡萄酒は、山梨県北西部に位置する明野エリアで、総面積約12ヘクタールの広大な自社農場「三澤農場」を展開。良質なブドウの追求が、世界に通用するワインを生み出している
社員25人の小さな会社が、日本のワイン輸出を牽引している。山梨県甲州市に本社を置く中央葡萄酒だ。
日本では、ワインというと「海外のお酒」のイメージがあり、国産ワインのブランド力は高くはなかった。国産ワインは世界でも認められておらず、大手ワインメーカーの販売も国内が中心。そうした状況にあって、中央葡萄酒のワインは、2014年、2015年の2年連続で国際ワインコンクールの金賞を受賞。
「日本のワイン」の実力を世界に示し、海外への販売を大きく伸ばした。現在、中央葡萄酒は19ヵ国にワインを輸出している。
中央葡萄酒は1923年創業の老舗であり、現代表の三澤茂計氏は4代目だ。1982年に代表に就任し、地域のワイン産業の苦境を打開するため、早くから改革を進めてきた。
三澤茂計(みさわ・しげかず)中央葡萄酒 代表
「『甲州』に頼らざるを得なかった」と、三澤代表は振り返る。「甲州」とは1000年以上の歴史を持つとされる、日本固有のワイン用ブドウだ。
「甲州」の作付面積は、山梨県が国内トップ。日照時間が長く、雨が少ない山梨の気候条件が甲州ブドウの生育に適しているためだ。
1980年代、急速な円高を背景に世界各国から輸入された安価なブドウが市場を席巻する中、ワイン用ブドウとしての「甲州」の価値は下がっていった。
「最初の思いは『甲州を守ろう』でした。『甲州』はワインのためのブドウと呼ばれるほど、ワイン醸造に適したブドウです。アジア圏の固有種の中で、これほどワインに向くブドウは他にない。だから、『甲州』に特化しようと考えました」
日本のブドウから造られた日本のワインを、文化としてきちんと残したい。1987年、三澤代表の思いに共感した同士12名で「勝沼ワイナリークラブ」が結成された。
2005年には、三澤農場の近くに「明野・ミサワワイナリー」を開設。自社農園産・高品質ブドウを使ったワインが揃う
「日本のワイナリーには厳しさがない。ロンドンで勝負できなければだめだ」
これは浅井宇介のペンネームで数々の著書がある故・浅井昭吾氏が、2000年に三澤代表らに伝えた言葉だ。
ロンドンは、世界のワイン情報の7割が集まると言われる中心地だ。80年代から「甲州」のブランド化に動き出していた三澤代表だったが、ロンドン市場に進出するなど夢のまた夢だった。
転機となったのは、2007年。後にマスターオブワイン協会の会長に就任するリン・シェリフ氏からコンサルティングを受けたのが発端だった。
「『甲州』は栽培に適した地が少ない品種であり、ユニークでオリジナリティが高いワインを生み出します。ただ、日本で販売を伸ばすのは簡単ではないとわかっていました。そのとき、リン氏から出たのが、ロンドン市場に挑戦すべきという言葉。浅井氏、リン氏双方の言葉を受け、日本のワインを海外へ持っていかなければと、強く確信しました」
そして2009年、中央葡萄酒をはじめ15社が参加し、甲州ワインを販売するための共同プロジェクト「Koshu of Japan(KOJ)」が結成された。三澤代表は、KOJの初代委員長だ。
「日本の製品は、ガラパゴス化しやすい。海外に出さなくても、国内にマーケットがあるからです。それはワインも同じ。しかし、ワイン新興国が力を付け、輸入ワインが増えていく中で、日本のワインが生き残るには海外市場で勝負しなければならない。そのためには、『ブルゴーニュ』や『ボルドー』などのように、『甲州』も山梨でしっかり産地を形成してブランド力を高めなければと考えました」
KOJは、輸出に向けたさまざまな構想を練り始める。本格的に欧州に輸出するためには、ラベルの表記をEUのルールに合わせる必要がある。産地名の表記など、ワイナリーだけでは超えられない壁もあり、行政を巻き込んでの挑戦だったという。
また、各社でワイン製法のノウハウを共有するなど、品質の面でも改良を続けていった。
KOJは2010年1月に第1回となるロンドンプロモーション(ワインテイスティング)を実施。同年秋、初めてブドウ品種名「甲州」の名を冠したワイン2000本を欧州へ輸出した。
その後、2013年まで4年連続でロンドンでのプロモーションを実施。世界の醸造家やワインライターが「甲州」を知るのに3年はかからず、これは三澤代表も「予想しなかった成果」と驚きを見せる。
ロンドンでのプロモーションに続き、中央葡萄酒の名を世界中に広めたのが、冒頭でも触れた国際ワインコンクールでの受賞だ。
世界90ヵ国以上で発行されるロンドン発のワイン情報誌『デカンター』が主催する大会「デカンター・ワールド・ワイン・アワーズ」において、中央葡萄酒は2年連続で最高賞を受賞。1万5000点以上のワインがエントリーする世界最大級の大会であり、中央葡萄酒の受賞は日本初の快挙だった。
受賞したワイン「キュヴェ三澤明野甲州」を手がけたのは、三澤代表の長女・彩奈氏。彩奈氏は幼いころからワイン造りをする父の背中を見て育ち、フランスのボルドー大学でワイン造りを学んだ。現在は、中央葡萄酒の醸造責任者だ。三澤代表は彩奈氏を右腕として認め、「お互いに補い合っている」と語る。
「娘はオフシーズンに南半球へ行き、現地のワイン造りに触れるなどした2006年頃から急に成長しました。実は日本には、醸造家がワイン造りを学べる場所がありません。海外に行き、現地の醸造家と交流して得るものは本当に多い。また、娘の語学力は、海外への販路開拓でも強みになっています」
数多くの国内ワインメーカーが海外輸出に挑戦する中で、中央葡萄酒が先行できたのはなぜか。三澤代表は、「2つのポイントがある」と語る。
「一つは、『黒船効果』を狙ったわけではなかったこと。つまり、『パリの有名レストランに入っている』とか、国内での宣伝を目的に海外に出たわけではなく、最初から、海外に自分たちのワインを根付かせることを目的に活動してきました。もう一つは、『品質』です。ワイン造りは、産地に根付くブドウがすべてだと考えています」
中央葡萄酒は、山梨県内の2ヵ所(甲州市勝沼、北杜市明野)でワイン用ブドウを栽培している。特に明野は日照時間が長く、雨が少ないブドウ栽培に恵まれた土地であり、12ヘクタールの広大な敷地を有する。
三澤代表は、早くからブドウ栽培の変革に挑んできた。日本のブドウ栽培は、1本の木から数多くの果実を収穫する「棚栽培」が主流になっている。しかし三澤代表は、ブドウの高品質化のためには、1本当たりの着果数(収穫量)を制限する「垣根栽培」が不可欠と考えた。
1992年には垣根栽培の試験を開始。しかし、その試みは失敗に終わった。欧州のワイン用ブドウは垣根栽培が主流になっているが、それを日本の気候・風土に合った形で導入するのは、並大抵のことではなかった。
それでも、三澤代表はあきらめなかった。日本の常識にとらわれず、南アフリカのステレンボッシュ大学の教授から指導を仰ぐなど、世界のノウハウを貪欲に吸収。2005年には垣根栽培に再び挑戦し、試行錯誤を繰り返した。
ようやく納得できる品質のブドウができたのは、ここ3~4年のことだという。それが、国際ワインコンクールでの評価、海外販売の拡大にもつながった。
「我々のワインは、ナチュラルな味が特徴。ワインの味を決めるのは、ブドウです。ブドウのポテンシャルを損なわず、最大限に引き出す。醸造に技術は必要ですが、技巧的になりすぎてはいけない。ブドウが持つ自然の味を活かすことを信条としています」
2016年現在、中央葡萄酒のワイン輸出は全体の1割程度だが、今後10年以内で3割に伸ばすことを目指している。
自社農場を持つ中央葡萄酒だが、いまだブドウの多くは契約農家からの購入だ。輸出を拡大するためには、良質なブドウの生産者がまだまだ少ないという課題も残る。しかし、三澤代表によると、「ワインに向く良いブドウを造りたいという農家が出てきた」と前向きな動きも起こり始めた。
「必要なのは、産地と造り手の熱意です」
三澤代表ら醸造家の熱意が、より多くの人々を巻き込み、産地を変え始めている。
地下の貯蔵庫では、ワインの長期熟成が進む
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